2019年04月28日

20年前の卒業生

「もしもし、先生、お誕生日おめでとうございます!」

懐かしい卒業生の声が聞こえてきた。彼は毎年こうして、台湾から(化石化しつつある固定電話に)国際電話をかけてくれる。初めの頃はプレゼントまで送ってくれてたけど、いつの頃からかカードと電話だけになった。

推薦状を書いた学生からお礼をもらったり、日本から戻った学生がお土産を届けてくれることはたまにあるけど、誕生日に毎年電話をくれる卒業生は、後にも先にも彼一人。

だいたい、Facebookもなかった時代になんで私の誕生日を知っていたのかも謎だけど、彼曰く「先生のご指導のおかげで日本語が話せるようになりました」と。

彼は大学で初めて日本語の勉強を始めた「初心者」だった。90年代のニュージーランドは日本語ブームの盛りで、高校での日本語学習が大人気だった。だから、私が教えていた最上級のコースまで「生き残る」学生は大多数が高校からの既習者で、初心者たちは四苦八苦していた。

そんな時に、地域の日本語弁論大会が開催されることになり、彼が原稿を書いて来た。文法の間違いはあったものの内容がおもしろかったので「やってみれば?」と励ますと、彼は録音してあげたカセットテープを何度も聞きながら、発音や間の取り方の猛練習を重ねた。その結果、彼のスピーチは大受けに受けて「特別賞」を獲得 大きなバスケットに日本のお菓子が盛り込まれた景品を嬉しそうに教師や同級生に分けていた。

これが動機づけになったらしく、彼の日本語はその後めきめきと上達し、20年近く経つ今でも、あれ以来全く日本語を使っていないにもかかわらず、基本的な会話力は衰えていない。

卒業前に日本語クラスのパーティがあった。当時は大学も寛容で、費用の援助が出たので、近くの日本食の店に集合した。その時に教師一人ひとりにきれいな花束を用意してくれたのも、彼だった。

彼はこの国に住んでいた頃、仏教のお寺に通っていると言っていた。英語の仏教の本を送ってくれたこともあったし、お世話になった人を大切にするのが彼のモットーなんだろう。恩師に新年の挨拶をし、元上司を結婚式に招待するとか、アジアの文化では、こういう長いおつき合いも珍しくはないのかも。

この国みたいに、あっさりした文化の中で暮らしていると、今でこそソーシャルメディアで程よくつながってる卒業生もいるけど、普通は年月と共にmove onしていく。義理を感じる学生がいないのはかえってありがたいし、職業柄、相手の話をこっちが聴くという関係性は変わらない。だから、たまに「先生はこの頃どうですか」なんて聞いてくれる人がいると、必要以上に感動してしまう。

台湾人の彼の電話は、自分の近況披露でもなければ、悩み相談でもない。ご家族はお元気ですかとか大学のコースはどうですかとか、ピントはもっぱらこっちの現実。私の書いたホリスティック教育の記事を読んで同感してくれたこともあったし、このブログにも時たま目を通しているらしい。

彼が一度転職の話をした時に「先生になれば?」と言ったことがある。彼のような人が教育者になったら理想なのにと思うけど、本人にはその気はないらしい。

「カードは着きましたか」「まだ。カードも送ってくれたの?」「いえ、今年はないです」??? よくわかんないけど、今年からカードはやめたのかな?最近、郵便屋さんもスローダウンしてきたし、いい潮時かもね〜

昔の卒業生たちとのつながりは、寛容でゆとりに満ちた時代の象徴のよう。効率重視の一途をたどっている職場にも、またいつか、心に響く丁寧な教育ができる日が来ますように

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2019年03月24日

愛に根ざしたリーダーシップ

ニュージーランドのクライストチャーチがテロ事件に見舞われた。銃を持った男が、午後のお祈り中のモスク2か所を襲撃し、50人のイスラム教徒の命を奪い、さらに50人の老若男女を負傷させた。襲撃犯の白人至上主義者は、次のモスクに向かう車中で、すぐに逮捕されたものの、その時点では、男がフェイスブックに流した事件の「実況中継」が世界中に拡散されていた。

それ以来、地球の果てのこの小国が、世界のメディアの注目を浴びている。悲嘆にくれるイスラム教徒のコミュニティや彼らを悼む国民の姿をはじめ、犯人を追跡し、さらなる犯行を阻止した警察官や重傷者の治療に当たる医療関係者などの様子が事細かに報道される中、この緊急事態に対処する、アーダーン首相のあり方が「先例がない」と称賛されている。

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シドニーのオペラハウスに、ニュージーランドのシンボルのシダの葉が

アーダーン首相は、常日頃「愛と慈悲と優しさ」を合言葉に、様々な問題に取り組んできた。就任してからまだ1年半も経っていないのに、首相のlove, compassion and kindnessという表現は、今や、政治家や官僚だけではなく、周りの人たちがあたかも「普通に」口にするようになっている。

テロ事件後の最初の会見での首相の言葉も、イスラム教徒のコミュニティに対する愛と慈愛に満ちていた。翌日、現地を訪問した首相は、悲しみにくれる遺族を抱きしめ、共に涙ぐみ、励ましの言葉をかけた。

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テロ事件で聞かれるのは、通常「憎しみ・怒り・報復」のような言葉。でも、アーダーン首相はこのような表現を一切使わず、「私たちはみんなひとつです」と、移民や難民の多いイスラム教徒たちとの連帯感を強調した。

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この首相のスタンスは、すぐに国民に伝わり、国のあちこちで弔いの場が設けられ、花屋さんが品切れになるほどの花束が供えられた。そして、事件から一週間後の金曜日の1時32分には、全国一斉に2分間の黙とうが行われた。

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それと同時に、オーストラリア人である襲撃犯に対しては、首相はきっぱりと「あなたはこの国を選びましたが、私たちはあなたを拒絶します」と宣言し、「あなたは私たちから何も得ることができません」と男の名前を口にすることを拒んだ。首相の言葉に伴い、テレビや新聞も男の名前を出さずに、単に「テロリスト」「襲撃犯人」と呼び、男が狙っていたプロパガンダの機会をはく奪している。

また、犯人がこの国で手に入れ、改造したとみられる半自動小銃の売買を即刻禁止し、銃規制を強化することも決定した。これも、野党や銃保持者たちの支持がなければ決行できなかったことだけど、こういう時に一体となれるのも、この国ならではかもしれない。

首相は自ら、政府や警察からの報告を担当し、記者会見の様子がその都度、生放送で国民に流された。記者からの質問に、いつも通り、丁寧に明確に誠実に答える首相の姿には、頭が下がった。

「リーダーシップの模範を見せているんですね」と聞かれた首相は、「いいえ、リーダーシップではなく、人間愛です」と答えた。「私が模範になっているのではなく、ニュージーランド人の持つ価値観を示しているにすぎません」

人の本性は、危機に瀕した時に出ると言う。

アーダーン首相の、愛と慈悲に満ちた、透明で率直なあり方は、この突然の未曾有の状況でも、全く軸がぶれなかった。

彼女のような、人間的に成長した、慈悲深い政治家が増えてくれたら、世界はがらりと変わるだろう。

#kiakaha (マオリ語で 「勇敢に!がんばれ」)#weareone

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All the other photos/Cr. Deon Swiggs

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2019年02月18日

「できる」という自信

カナダで映画の仕事をしている次女が、新しい職種の面接に臨んだ。渡加以来、フリーランスでドキュメンタリーやコマーシャルの制作に関わってきたけど、よりクリエイティブでおもしろそうな仕事にチャレンジしてみたいと。自分の資格や経験がこの職種に十分かどうかはわからないし、思ってもない質問をされて戸惑ったものの、緊張してあがるということはなかったそう。

「こういう時にあがらないのはいいね」と言ったら、「まあ、正直に自分の経験とこれからやってみたいことを話しただけだし、仕事の内容を聞いてて、何となく「できる」という気がしたんだ」と...。

やったことがある職種に対して「はい、できます」と言うのは簡単だけど、初めてなのに「できると思います」と言うには勇気がいる。でも、「できないと思う」とは言えないし、はったりでもいいから、そう言うっきゃないという状況...。でも、こういう時に、本当に「できそうな気がする」と思えたら、相手への説得力も違うだろう。

うちの職場でも、助手をしてもらう大学院生の面接をする。中には教師経験のある人もいるけど、初めての人も多い。でも、未経験の学生に機会を提供するのも使命のひとつだし、授業見学・フィードバックなどのサポートをしながら、新人を育てる。

前に、日本人だけどこの国で生まれ育ったという、バイリンガルの学生が面接に来た。彼は日本語教師どころか、普通のアルバイトさえ一度もしたことがないという、異例のケースだった。でも、やってもらった模擬授業がすばらしく、成績も性格もよかったので、雇うことにした。

今思えば、彼の中には「経験はゼロだけど、できそう」という確信のようなものがあったのかも。その後、2年近くいろいろなコースを担当した彼は、学生にも大人気で、大きな貢献をしてくれた。

この「できそうだ」という自信というか、確信はどこから来るのか?次女に「そういう自信があるといいね」と言ったら、「それはママのおかげだ」と言う。「子どもの頃から、いつも「それ、できるよ!」って言ってくれてたじゃない?」と

確かに、娘たちがやりたいと言ったことはたいていやらせたし、そう言われれば、どこかに「やりたいことならできるでしょ」みたいな楽観があったような。無論、次女が10代の頃は、危なっかしいことをやる度にビビッては「できればやめて〜」と願い、ひやひやすることも多々あった。でも、本人の意志が固すぎて、とても介入する隙はなかった。

あえて意識してたのは、「ほめる」ことかな。お世辞は嫌いだから、ほんとにすごいと思いながらほめてたわけだけど、子どもにしてみたら、その「親ばか」が自信の元になったかも。

親は言うことをきかない子を、いい子とは呼ばない。できれば、親の言うことを聞いて、「安全で」「正しい」「まともな」ことをしてほしいと思ってる。でも、親が「安全・正しい・まとも」と思うことが、その子にとって最善であるという保証はゼロに近い。というか、ゼロ。だって、子ども本人にさえわからないことが、他の人にわかるはずがないものね。

でも、子ども自身にやりたいことがあり、それができそうと思えたら、それほど頼りになるものはない。その内から湧き出る衝動と情熱は、子どもを行きたい方向へと導き、機会を提供してくれる。

子どもを導くのは、実は親でも教師でもなく、子どもの中にある「やりたい!」という気持ちなんだよね。だから、大人の仕事は、それを邪魔しないようにすること。子どもの好奇心ややる気を妨げずに、応援してあげること....じゃないかなあと思ってる。

で、親は自分のことをしっかりやる。自分の時間を作って思いっきり楽しいことをやるとか、安らかな気持ちになるようなことをするとか、今の自分は幸せかなあと問うてみるとか。

バイリンガルの彼は「教えるのも楽しかったけど、やっぱりファッションの仕事をしたいです」と卒業後はファッションの道を進み、今や日本のファッション界で活躍中。次女も面接の結果はどうあれ、着々と夢の世界へと向かってる

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カナダで大雪を楽しむ娘
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2019年01月28日

いろいろな「普通」

一時帰国の楽しみのひとつは、同窓会。お互い年はとっても、昔ながらの気さくさで、思い出話に花が咲く。高校の同窓会はもう長年続いてるし、最近は中学の元同級生たちとの再会も実現して、さらなる楽しみが増えた。

でも、ちょっと気になることがある。それは、いつも食事が「飲み放題」プランになってること飲めない私は、乾杯のビール一口の後は、ジュース一杯でおしまいだけど、お酒好きの人たちは延々と飲み続ける。それでも会費は一緒。

今回の中学同窓忘年会は地元の中華料理屋さんで。2次会はカラオケと聞き、せっかくだしとついて行った。狭〜い部屋にぎゅうぎゅう詰めに座ると、どんどんお酒が運ばれてくる。常連さんたちの歌唱力はプロ並みで、久々の懐メロメドレーに酔いしれるひと時 でも、そのうち時差ボケが襲ってきたので、先に帰ることにした。そしたら「カラオケ代5400円で〜す」と!え〜っ、お酒なしで、先に帰るのに⁉ ($$に換算して

まあ、お店にしてみれば、飲まない人の数なんて確認できるはずないし、今思えば、入る前に料金を聞いておけばよかっただけの話...。「同窓会は飲み放題」も「カラオケはお酒と歌のセット料金」も、ごく普通のことらしいし。だから、驚く私の方が、かえって驚かれてる可能性もある。

こちらは、高校の同窓会での一コマ。2次会の店を出る時に、ある男性が「女子の分は男子が払いま〜す」と宣言した。(女性の分を男性が払うことの賛否は別として)男女半々ぐらいだったから、男性一人当たりの額は倍になった。これを提案した人には、こういう時に気前よくふるまうのが普通のことなのかも(彼は大きな会社の社長さん)。でも、予想外の出費に戸惑った男性もいたのでは?

英語で、Do not make assumptions. という表現がある。これは「憶測は控えよ・勝手に決めつけるな」という意味。「いつもと同じでいいだろう」とか「普通はそうだろう」みたいな憶測は該当しない時もありますよと。

同窓会ではお酒をいっぱい飲むのが普通、カラオケも普通は飲み放題・時間無制限、男が女におごるのが普通...家族・友達・同僚とか慣れ親しんだ仲間うちでは、こういう「普通」が通用する。でも、同窓会は、昔は級友でも、今はバラバラの人達の集まり。だから、だれかの「普通」が自分の「普通」じゃないことは、大いにありうる。

ここニュージーランドの「普通」と言うと...裸足で買い物に行く。レジの人が客にHow's your day?と聞く。10セント以下は四捨五入。上司でも名字じゃなくて下の名前で呼ぶ。隣に引っ越しても挨拶に来ない。贈答品のお返しをしない。国で決められた教科書がない。給食もない。父親が父母会に出る。不良品の交換時に店員があやまらない。女性がペンキ塗りや芝刈りをやる。お葬式に黒以外の服を着る。ゲイのカップルが堂々としてる。夏休みは2ー3週間まとめてとる。女性が首相や裁判官になる...などなど。

「普通」は全くいろいろだ。そして、「普通」はいたって流動的。

昔はクールの象徴だったタバコも、今では禁煙が普通になり、人前でだれかをだきしめるなんて!という日本でも、ハグする人が増えてきた (Yay!)。世界で初めて女性参政権を取得したこの国でさえ、それ以前は女性が投票しないのは普通のことだった。

当たり前で普通だったことが、時代と共に変わり、新しい「普通」ができていく。

日本の若者の「飲み放題」離れという話を聞いた。「え〜っ、昔は『飲み放題』なんて言葉があったの?」なんていう時代が来たりして?

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カラフルなお正月のディスプレイ
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2018年12月12日

つながりの時間 Being present

孫たちの家に行ったら、6歳のお兄ちゃんがめずらしくご機嫌斜めの様子。何があったかわからないけど、金曜日の午後だし誰でも疲れるよね〜と思いながら、「今日は何して遊ぶ?」と手をつないで誘ってみた。

大好きなレゴで虹模様の床を完成させるという作業から始まって、気の向くままに塀で囲っていく。弟もそのうち来るかな(普通は絶対来る)と思ったけど、その日は庭遊びに没頭していたらしく、久しぶりの二人きりの時間だった。

クリエイティブで、自由で、誰にもじゃまされない時間は、この上なく平和で、塀で囲まれた空間は、いつの間にか飛び込み台のあるプールに変身してた。

あとで、パパに「二人でレゴをやってたら笑顔が戻ったよ」と報告したら、「attentionをもらえたんだね」と。

この attention(注意・注目)という言葉は、よく子育ての場面で登場する。これにseek(求める)という動詞がついたattention-seeking(注意を引こうとする)は、かまってもらおうとする子どもや、目立ちたがる大人の行動を形容する。

確かに、あの日の孫は私の full attention(完全なる注目)をもらえたわけなんだけど、私には「つながりを感じた」と言った方がぴったりくるような気がした。

誰かが「attention-seekingじゃなくて、connection-seekingと呼んだ方がいい」と言っていた。子どもが求めてるのは、「注目されること」より、「つながりを感じること」だと。

「注目する」は一方的で、「遊んであげる」という感じがあるけど、「つながり」は相互的。ゲラゲラ笑いながら共有する喜びは何にも代えがたい。

子どもは大人が心から楽しんでるか、義理でつき合ってるかをよく見分けてる。子どもにしてみれば(大人もそうだけど)、ちゃんと見て、聴いて、受けとめてほしいんだよね。They want us to "be present". 

be present の意味は「そこに存在する」。でも、ただそこにいるだけじゃなくて、うわの空じゃない、ちゃんとした「いる」。

全身全霊で注意を払い、関心を持ち、意識を向けて、今ここに「いる」。

子どもが求めてるのは、大人がスマホから離れ、テレビも消して、思いっきり子どもの世界に浸ってくれること。それは一日30分でも、効果があるらしい。

connecting time(つながりの時間)が必要なのは、子どもだけじゃない。どんな人間関係でも、しっかり向き合う時間があるとないとでは、関係の質が違ってくる。

要する長さや頻度はそれぞれだけど、一緒に感動したり、何かに夢中になったり、じっくり語り合ったり、ふたつの心がつながる時間を、あえて作りたい。

Being present. これは文字通り、自分と周りへのプレゼント。今年のクリスマスの贈り物は、「大事な人とのつながりの時間」というのはどうでしょうか?

Merry Christmas

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2018年11月15日

白髪はおしゃれでかっこいい!

去年の暮れに、生まれて初めて髪を染めた。

元々、白髪が少な目で、目立ってきたのも50代に入ってからだったし、特に違和感もなく、染めないほうが楽〜と思ってた。

でも、去年の暮れに、東京で40年ぶりの同窓会に出ることになって、考えた。ちょうどその頃、体調を崩してて、この生気のない顔に白髪頭じゃ本当のおばあちゃんになっちゃう〜と、急遽、いつも上手にカットしてくれる東京の美容師さんにお任せして、初めての髪染めに挑んだ。

なるべく自然にということで勧められた「香草カラー」の仕上がりはよく、白髪が明るいベージュのストリークに変身して、ピンピンはねてた毛もしっとり収まった。長時間で疲れたし、薬が地肌に沁み込む感じは苦手だったけど、きれいになった髪を見て「これだからみんな染めるんだ〜」と大いに納得。

案の定、同窓会で再会した女子たちの髪はみんなきれいで、白髪交じりなんていなかった。(男子では総白髪のロマンスグレー氏がひとりいたけど

その後、日本製のチューブ入りトリートメントを購入し、月に一度ぐらい、自分で生え際を染めるという作業を半年ぐらい続けた。でも、とある日、そろそろ染める時期かなあと鏡を見ていて、「面倒くさい!このままでいいや」とやめてしまった。

その後どんどん増える白髪に、圧倒されつつも、「このままでいいや」が変わってないのは、元気が戻ってきたからかも。

日本にも白髪を謳歌する女性たちがいる。

46歳のライターの朝倉真弓さんは「18歳からの白髪染めをやめたら自由になれた」という。

白髪染めをやめるきっかけになったのは、40歳の頃に遭遇した東日本大震災だそう。こんな緊急事態でも髪を染めなきゃとしがみついている自分に気づいて、やめることを考え始めたという。

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朝倉さんは自分の「白髪育て」の過程を「かっこいい白髪を目指す!」というタイトルのブログにつづっている。

 「染めていたころに比べて、ほんの少しだけ自分が強くなったと感じています。
 白髪を育てていく過程で、他人の声と向き合い、咀嚼してみたり、自分の心と向き合ったり。
 その時間が、自分を成長させてくれたのかもしれません。
 白髪育ては、自分育てのラストチャンス!
 最近私は、そう考えるようになりました。」(朝倉さんのサイトより)

60代70代でも髪染めを続ける女性が多いのに、40代で総白髪の自分を受け容れるなんて、すごい勇気!白髪は隠すものじゃなくて、「育てる」ものなんだ...と思うと、ほっと安らぐ。

もちろん、染めるのが楽しくて、お金も手間も気にならない人はいいけど、「みっともない」「老けて見える」という理由で、仕方なく染め続けてるとしたら、かなりしんどい。

32人の「染めない」女性たちの話をつづり、「グレイヘアという選択」(主婦の友社)を編集した依田邦代さんは「この本を作るうち、あることに気づいたんです。おしゃれな女性はグレイヘアが多い、と。『老けてみられると恐れるよりは、自分らしくありたい』という価値観から、彼女たちはグレイヘアを自ら選んでいました。」と語る。

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グレイヘアは白髪の英訳。カタカナにしたとたんに、おしゃれ感が増して、グレイヘアブームが広がりつつあるそうだけど、白もピュアで素敵です〜

白髪はおしゃれでかっこいい!

自然のままで、楽に、無理なくやっていきたいね〜


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2018年10月20日

サウナの中での進路相談

ドアを開けると、女の子がひとり座ってた。

何を隠そう、ここはジムのサウナ。
運動の後のリラックス・デトックスを楽しむ、お気に入りの場所だ。

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(これはNZの南島のサウナ。ジムのサウナは景色なしです)

でも、今日は、いつも私が寝っ転がる場所に、女の子が....
しょうがないから、近くに座ると、その子が何とかかんとか?と中国語で話しかけてきた。

I don't speak Chinese...と答えると、すぐに英語に切り替えて
「え〜、中国人に見えるけど、何人ですか?」
「へえ〜、来月、家族と初めて日本旅行に行くんです!」
「もうすぐ、高校を卒業するから...」とニコニコ話してくる。

「来年からは、工科大でホテル経営の勉強をするんです」
「でも、私は勉強は好きじゃないから...」
「それに、留学生だから、落第したら膨大な学費が無駄になるし...」

サウナの中では、おしゃべりはしたくない方なのだけど、こうも屈託ない笑顔で話されると、会話が進んでしまう。

「国に帰ったら、ホテルで働くの?」
「No, ホテルの勉強は親の考えで...」
「本当は何をしたいの?」
「メイク!でも、親はダメだって言うにきまってるし...」

ああ〜、またもや、親に一方的に進路を決められて、自信を失ってるケースか...

うちの大学にも、親の希望で留学させられて、苦労してる留学生たちがたくさんいる。

親たちは、地元の大学のように、一度入ればどうにか卒業できると思い、子どもを送り出すのだけれど、この国の大学は、入ってからが大変で、相当がんばらないと、進級できない。

海外留学させてもらって、高い家賃のアパートメントに一人で住むなんて、こっちの学生にしてみたら、贅沢極まりない身分にあるわけだけど、外国語での授業を理解し、書物を解読し、何千語ものレポートをまとめるのは相当の能力と努力を要する。

それでもがんばれるのは、自分が学びたい科目を勉強できるから。
親に押しつけられた、嫌いな科目なんてやる気が出るはずがない。

でも、子どもたちは「自分のことを思って」費用を出してくれてる親に、本心を言えないでいる。

中には、「話してみたら」というアドバイスの元に、海外の親に説明しようとする学生もいるけど、たいていは「自分勝手だ」とはねつけられる。

自分が本当にしたい勉強をすることが、自分勝手??

自分勝手なのは、子どもの意志を無視して、押しつける親の方じゃない?

親の決めつけは、子どもの中で芽生える好奇心ややる気を摘み取ってしまう。なのに、親は自分が勧めた勉強に身が入らない子どもを「やる気がない!」と責め、その結果、子どもは「悪いのは自分」と自信を失っていく。

サウナの女の子にも、「メイクの勉強がしたいって言ってみたの?」と聞くと、「言っても反対される」とあきらめてる。でも、夏休みに帰省すると言うので、大学の専攻を変えるかどうかは別として、「自分はメイクが好きで、将来そういう仕事がしたい」ということだけでも、親の耳に入れておけば?と言っておいた。

親が聞き入れるかどうかはともかく、自分で自分のしたいことを「宣言」するといい。

「自分の好きな、やりたいことを勉強すれば、やる気も出るし楽しいんじゃない?」「そのために、この国に留学したんじゃないの?」「この国の人たちを見てごらん。自分のやりたいことをやってるでしょう?」

その頃には、狭いサウナに数名の人たちが入って来てて、話を聞かれてるなあと思いはしたものの、ついつい熱が入ってしまい、「留学は今までのやり方を見直す機会なのよ!」とまで言ってしまった。

大学の留学生にもよく言うのは「あなたが留学したのは、外国の学位を取るためだけじゃない。自分の国と違う考え方、やり方を見て、自分もあんな風にしたい、こういう方がいいと思うところはある?なら、それをどんどん実践して、国に帰って、こういうのもアリですよって見せてあげれば?」

少数の国費留学生しか海外に渡れなかった時代は、みんな高い意識を持って挑んだのだろうけど、お金さえ出せばだれでも留学できてしまう昨今は、留学の目的や意味合いを自覚してない若者たちも多い。

サウナの女の子も、「ありがとうございます!親に話してみます!」と言いながら、元気にサウナを後にした。

親の頭が硬いのは、ちょっとやそっとじゃ変わらないかも。でも、若者が何かに気づき、新しい見方や考え方を学び、それをやってみたいと思ったら、柔軟な頭はさっさと吸収していくはず。

こんなのもアリなんだ~と思った時のあの感じって、ものすごく開放的〜

この解放感を、どんどん伝染させちゃおう

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Tuiという鳥が好きなフラックスの花
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2018年09月17日

周りを幸せにする近道は、自分が幸せになること

Hi!と肩をたかかれて振り返ると、元常連が
I'm back!

久々に現れた彼女は、先生と仲間を前にして
「仕事を始めてから時間がとれなくて...」
と先生と仲間に申し訳なさそうな顔をした。

長年通ってるボディー・バランスというクラスでのこと。

ヨガとピラティスのクラスで、4,50人が大きなスタジオに集まり、音楽に合わせて、体を動かす。

初めて彼女に会った、というか、見たのは数年前

いつも一番前でしなやかに動く彼女の、褐色の肌とチリチリ髪とカラフルなレギンスに目を引かれた。

聞いてみると、南アフリカ出身で、黒人の血が4分の1入っているという。

会った頃は、子育てと家事を楽しむ主婦だった。
子どもたちが学校に行っている間にジムで運動
冬休みには、一家で南島へスキー旅行をしたり
しょっちゅう海外旅行もしているらしく、「来年は日本へ行こうと思うんだけど」なんて、相談されたこともあった。

それが、一年ぐらい前に、「夫の会社でパートをすることにしたの」と聞いて以来、姿を見せなくなっていた。

来れなくなった理由は「仕事は一週間おきなんだけど、仕事のない週は、家のことをしなくちゃなんないし...」

「でも、やっぱり、自分の時間も作らなきゃと思って」大決心をして、クラスに来たんだろうなあと察した。

「久々すぎて、ヨガマットがくっついて開かない」などとふざけながらも、クラスを満喫した風の彼女に、状況を聞いてみると

会社は夫ともう一人の所有で、その人の妻と交代で事務を。
でも、事務の仕事はおもしろくないし、全然したくない。
でも、夫が上司だと難しい。

「会社は繁盛しているんでしょう?」と聞くと

大繁盛で、オークランド市内に10件も不動産を持っている。

「なら、だれかパートの人に来てもらえば?」 

それが、夫は、自分が手伝っていることを喜んでいて、仕事が二人の関係を近くする要因にもなっている。だから、やりたくないと言いにくい。

そして、彼女は「夫が上司だと難しい」と繰り返した。

自分は今すぐにでもやめたいし、お金もザクザクあるけど、夫が、一緒に仕事をしたがっているから、やめられない。夫をがっかりさせたくない(怒らせたくない?)

この気持ち、よ〜くわかる。(お金はザクザクなかったけど)

私も昔、元夫の翻訳業を手伝っていたことがあった。一緒に時間をすごすのは楽しかったのだけど、元々、翻訳が好きじゃなかった私にとっては、彼を喜ばすためにやってた感が強かった。

人はとかく、他者を喜ばせるために、自分を犠牲にする。そして、それは「美徳」であると、解釈される。

でも、その美しく、徳に満ちるべく行為が、ともすると、自分をむしばみ、周りをむしばみ、自分も周りも不幸にすることがある。

自分のニーズを後回しにして、他者のためになろうとしたのに、結果的には、喜ばせようと思っていた人をも不幸にしてしまう。

いい人は、自分さえ犠牲になれば、自分さえ我慢すれば、すべてがうまく収まるはずと信じて、その道を選ぶ。

周りはそれを喜ぶし、自分も初めは達成感に浸るのだけど、それは長続きしない。

犠牲や我慢は、長期化するとヒズミが出てくる。

緊急事態における犠牲や、バランスのとれた譲り合いはもちろん必要。

でも、自分のニーズを犠牲にして、周りを幸せにすることはできない。

 周りを幸せにする近道は、自分が幸せになること

一見、順序が逆のようだけど、周りに水をあげるためには、まずは、自分のグラスの水をいっぱいにしておかないと。

ボディーバランスの彼女にも「自分がハッピーじゃなかったら、ハズバンドも子どもたちもハッピーになれないよね」とだけ、言っておいた。

自分のニーズ(夫の会社で働きたくない)と相手のニーズ(妻に自分の会社で働いてほしい)がぶつかった時、それをうまく交渉するのは、難しい。

でも、これをするために、これができるようになるために、生まれてきたんだよね。

 自分も幸せ、周りも幸せ

バランスのいい関係をめざして、今日も練習開始〜!

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ニュージーランドは春勢いよく命が芽生える
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2018年08月20日

ブログを始めて7年たちました〜

昔から、悩みを聞くのが得意だった。

特に、習ったわけでもなければ、家庭でそういうことを
やってる家族がいたわけでもないので
「生まれつき」というやつだろう。

なぜか、人の話を聞くと、その真髄のような部分に
焦点が合って、全体像が見えてくる。

 なぜそんなに悲しいのか
 なぜそんなにつらいのか
 なぜそんな風に感じてしまうのか

でも、若い頃は、それに対して何をすればいいのかは
わからなかった。

だから、ただただ相槌を打ちながら、じっくり聞いて
たまに、慰めの言葉をかけるぐらいだった。

それが、自分の離婚をきっかけに
どんな解釈をして、どう対処すればいいのかが
だんだんわかってきた。

ありとあらゆる本を読み漁り
役に立ちそうなワークショップに参加し
セラピーも何度か受けてみた。

一番お世話になったのが
スピリチュアルなカウンセリングだった。

それを受けているうちに

 人が出逢う「災難」や「悲劇」には
 すべてそれなりの理由があり
 それは学びと成長の機会だ

ということを学んだ。

そして、

 学びたい成長したいと願っているのは
 私自身の魂そのものだ

ということも。

これは、読み漁っていた本の筆者たちも
口をそろえて言ってることだった。

でも、それを本当の意味で実感できたのは
自分自身の感情や思い込みに対面してからだった。

そして、その根底には

 愛に包まれている

という世界観があった。

これが正しいか正しくないかよりも
「そういう風に考えると、楽になる」
というだけで十分だった。

 人のせいにしているうちは辛いけど
 自分の責任だととらえたとたんに楽になる。

 だれかを嫌い、憎んでいる間はしんどいけど
 彼らを許したとたんに楽になる。

 先のことを心配してる間は不安だらけだけど
 大いなるものにお任せしてしまえば楽になる。

自分の中の思い込みを変えていくことで
どうにもならないと思っていた感情がほぐれていった。

そんなプロセスを体験しているうちに
同じような悩みを抱えた人たちに
自分が学んだことをシェアするようになった。

「聞いてもらって、心が休まりました」
「なんでそんなにわかるの?」
「おかげで、元気が出てきた〜」

こんな言葉をいただくようになって
話すだけじゃなくて、書いてみようかなあ
と思ったのが、7年前。

ブログの数も150を超えました

こうして読んでくださる方あってのブログです。
本当にありがとうございます。

スローペースで、細々ながらではありますが
読んだ方が、少しでも楽になり
「人生、楽しむぞ〜」みたいな元気が出てきますように...
そんな願いを込めて、これからもつづっていきたいと思います。

Thank you SO much for your continuous support

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ニュージーランドは春
うちの庭の桜も咲き始めました

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2018年07月26日

真っ暗な洞窟から差し込んだ愛と希望の光

タイの洞窟に閉じ込められていたサッカー少年たちが
無事、救出された。

12人の少年とコーチは、発見されるまでの9日間
何も食べずに、雨水を飲みながら命をつないだという。

それだけでも、奇跡以外の何物でもないけれど
その後の、増水した、危険極まる洞窟内からの救出作業
海軍特殊部隊の隊員たちをはじめ
世界中から駆けつけた、潜水士、医療チーム、エンジニア他
大勢の関係者とボランティアの人々の奇跡的ティームワークだった。

海軍の潜水士がひとり、準備作業中に亡くなった時は
そんな危険な場所から、衰弱した子どもを救うなどとうてい無理
...と悲観に包まれた。

でも、その悲しみも乗り越え、「彼の死が無駄にならぬよう」
豪雨の合間を縫って、救出作業が決行された。

発見されてから、さらに8日後、ついに最後の4人とコーチを無事救出

救出作業の責任者であった、地元の県知事は
「全員が生還できたのは、愛の力です」と感謝の辞を述べた。

愛の力 the Power of Love

まさに、救助にあたった人々はもちろんのこと
少年たちの家族の祈りや、周りの人たちの想いのパワーは
すごかった。

でも、パワーをもらったのは、助けられた人たちだけじゃない。

息をのみながら、じっと見守るしかなかった私たちも
愛と希望と勇気をいただいた。

まずは、あの見つかった瞬間の少年たちの笑顔

9日も何も食べないで、ヒョロヒョロになってるのに
親たちへのあいさつをする顔は、穏やかで、笑ってた。

boys in the cave

25歳のコーチが、お寺で修業をしたことがあって
子どもたちに瞑想を教えていてくれたそうだけど
子どもたちの目は、輝きを失っていなかった。

そして、勇敢な潜水士たち

泥水の中を必死に探り、岩間に潜む彼らを発見したダイバーたち
酸素ボンベを担いで、狭い洞窟内を何度も往復した海軍兵たち
ずっと洞窟に泊まり込んで、健康状態をモニターし
最後までサポートし続けた4人の潜水士たち

4 divers.jpg

協力した潜水士の数は90人にも及んだと言う。

そして、洞窟ダイビングが趣味のお医者さん!

子どもたちが救出中にパニックを起こさないようにと
鎮静剤を処方した麻酔医は、オーストラリアの洞窟探検家だった。

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Dr Richard Harris

このとても謙虚そうな麻酔医が、後で言ってたのは
「洞窟に潜るのは何でもないことだったけど、
衰弱した子どもたちを無事救えたのは、あの場にいた人たち
全員のおかげです

でも、いくら経験豊富とはいえ、衰弱した子どもたちに
あの状態で、「適量」の薬を投与するなんて....

「初めてだったので、タイの医師や国の医師仲間に相談の上やりました」

 人間ってすごい!
 まだまだ捨てたもんじゃない!
 ありがた〜い!!!

昨今のメディアで話題になる人たちの中には
自己中心、エゴだらけ、無知、意識低すぎ〜みたいな人も多いけど
この事件は「人間の可能性は無限」ということを思い出させてくれた。

 人間の生命力のすごさ
 人間のマインドの頑丈さ
 人間の団結力のすばらしさ
 人間の忍耐力の強さ
 人間の回復力の目覚ましさ

に、改めて感動し、感謝するとともに
自然への畏敬の念も新たにした。

救出から1週間入院して、すっかり元気になった少年たちは
亡くなった潜水士さんへの弔いもかねて
しばしの間、お寺に入るという。

boys in the temple.jpg

無邪気で明るい子どもたちを、やさしく見守るコーチと家族たち
そして、彼らを目いっぱい支える地域の人たち

タイの片田舎で起こったこの事件に
世界中の人たちの心が洗われた。

「お礼を言いたいのはこちらの方です

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2018年06月28日

休息日は休む

日本に一時帰国する前日に、陪審員の召喚状が届いた。
「〇月〇日午前8時45分に裁判所へ出廷すること」

陪審員を務めることは国民の義務であり
勝手に放棄した場合は、罰金が科せられる。

でも、正当な理由で出廷できない場合は
それを証明する書類を提出すれば、免除される。

とりあえず、メールのアドレスがあったので
「職務のため出廷できませんが、帰国次第、書類を送付します」
と送っておいた。

2週間後の早朝に帰国
荷解きを楽しみ、しばらく日本の余韻にひたった後
パソコンの前に座ると、机の上に例の召喚状が...

ああ、そうだ、これをやらなきゃいけなかった
と思い出し、土曜日だとはわかっていたのだけど
学科長にメールを書くことにした。

学科長と言っても、友だちでもあり、LINEで連絡もし合う仲なので
「ただいま〜」のあいさつもかねて
「上司からの証明が必要なのだけど、詳しくは月曜日に」
とだけ書き、あとは、月曜日に顔を見てから〜

....のつもりだったのだけど
それを読んだ彼女は、直ちに完璧な文書を作成して
PDFで送ってくれた。

「これでいいでしょうか」という彼女の言葉に
心から感謝すると同時に、「しまった」と反省した。

休日に仕事をさせるような連絡をしてしまった。

彼女の仕事が速いのは有名で、何でも頼むとささっとやってくれる。
でも、まさか、詳細を聞く前に書いてくれちゃうとは....

彼女自身は「ちょうど論文を書いてたとこだから」と
全然気にしてないようだったけど
寝不足の頭で下した判断は、大失敗〜

でも、すぐに書類を送れる体制になったので、ありがたかった。

ところが、月曜日の朝、出勤前にポストを見ると、法務省からの手紙が。

「ご連絡ありがとうございました。今回の出廷は免除されたことを
通知いたします。」

まだ正式な返事もしてないし、証拠となる文書も送ってないのに!

どうしてこうなったのかは不明だけど、はっきりしたのは

 何もしなければよかった

ということ。

「速やかな対応」は、物事がスムーズに進むためのカギだし
通常はいたってポジティブなこと

でも、時には、「早くやりすぎる」ということもある。

 すぐやるべきか、待つべきか

これを見分けるのは、至難の業ではあるけど
ひとつ言えるとしたら

 休みの日には仕事はしない

かなあ〜

職場でも、最近、学部全体への通知が、週末に入ることがある。
個人宛のメールならわかるけど
あたかも「週末も大学機能してます*」的メールは違和感がある。

(*うれしいことに、この国では、週末の大学は人っ子一人いないし
建物にカギがかかるので、容易には入れないのです!)

幸い、そういうメールを送る人は、今のところ、一人しかいないけど
同僚の中には、深夜や週末に来る、学生からの問い合わせにも
すぐに答える人たちがいる。

一日24時間、いつでもどこからでも交信できるのは
ものすごく便利で、ありがたい。

でも、それにいつ対応するかは、こっちが決めること。

「すぐに返事をしないと忘れる」という理由をよく聞くけど
それでも、星や旗をつけとくとかして
あえて、「夜や週末はお休みです」というスタンスを
崩したくはない。

休息日は休む

一見、単純で、当たり前のことだけど
これができない、これをしない人たちは
いっぱいいる。

しっかりと境界線を引いて
自分の休みを、堂々と守りましょう〜!

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実家の隣のお寺にて。梅が可愛かった
posted by bianka at 14:47| Comment(0) | スロー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月12日

好きなものを着る

朝、目が覚めて、何が嬉しいかと言うと
「今日は、何を着ようかな」と考えること。

その日の気分と気温に合わせて
好きなアイテムを選び、組み合わせていく。

古着好きの私は、持ってる服の8割以上が
地元や東京の古着屋さんの掘り出し物か
娘たちのお下がり。

デザイナーのサンプル品も何点かあるけど
正規の値段で買った服は、数えるほどかも。

だから、金額的に贅沢なものはないんだけど
 昔ならではの造りのいいコートとか
 ちょっと変わったワンピースとか
 質のいいジーンズとか
何年も大事に着てるものが多い。

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(下北沢で見つけたヴィンテージのワンピース

前に、イギリスの大学から新しい教員が来た。
日本人だけど、イギリス生活が長かった彼女は
初めのうちは、いつもきちんとブレザーを着てた。

でも、そのうち、ジーンズにTシャツはもちろんのこと
ショーツやビーチサンダルの同僚たちを見るにつけ
彼女のファッションも徐々にくだけていった。

歴史の長いフォーマルな国と比べると
何かにつけ、この国はカジュアル

裸足でスーパーに行っちゃう人がいるぐらいだし。

でも、職種によっては、もちろん
スーツにネクタイ、スーツにパンプスという世界もあって
たまに昼休みにビル街を通ったりすると
そういう人たちが、颯爽と闊歩する姿を見かける。

高級なスーツや、シルクのツーピースに身を包む気持ちのよさ...
はすっごくわかる。

でも、毎日、同じような格好しかできないのは
ちょっとつまらない。

次女が、旅行に出る前の半年ぐらいを
法律事務所という「別世界」ですごした。

その時の第一声が、「着て行く服がない」

映画業界の彼女が持ってた服は、どれもカジュアルで
フェミニンなドレスとかは、肌が出すぎてだめ。

なので、姉に借りたり、古着屋で最小限調達し
半年間をどうにかしのいだ。

こういう時の助っ人が、制服

学校も会社も、制服があれば、服の心配はいらない。

でも、みんなと同じ服を毎日、着るなんて
耐えられない〜

 「個性を伸ばそう」という標語の横を
 同じ制服の生徒たちがゾロゾロゾロ...?

私が制服を着させられたのは、中学の3年間だけだったけど
すごい違和感があった。

だから、高校は絶対、私服のところへ!と心に誓ったし
娘たちの学校もずっと私服だった。

でも、世の中には、毎朝、何を着るかを考えるのが
おっくうでたまらない人も多いそう。

だったら、うちの高校がそうだったみたいに
基本的には私服にして(Yes!)、着たい人は制服もOKにすれば?

シキタリとか、流行とか、「常識」とか
世間はとかく、同じような格好をさせたがる。

でも、自分が着たい服を着ればいいんだよね。

新しい首相が、就任式に来た服も
スーツじゃなくて、この国のデザイナーのワンピースだった。

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NZのジャシンダ・アーダーン首相(左)

この鮮やかな色合いは、彼女の自由で、オープンなあり方の
象徴みたいに見えた。

いくつになっても、おしゃれを楽しみたい

このスタイリッシュなおじいちゃんみたいに

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(おしゃれなシニア男性のFacebookより)

posted by bianka at 10:18| Comment(0) | 自己表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月08日

やりたいことをやりたいよ!

久しぶりに、孫息子が泊りに来た。

いい気候になったし、私の体力も戻ってきたし
イースター休みにご招待した。

その日、孫は着替えや絵本の入ったかばんと
大きなレゴの箱をかかえて、ナーナの家にやってきた。

(というのはイメージで、実際には、車を降りて
玄関までの間、レゴの箱を運んだだけ)

着いたころには、そろそろ夕飯の時間
おうどんをゆでてる間
カナダに行ってるおばちゃまと、フェイスタイム📱

「一人で来たの?弟はおいて?今晩泊まるの?」
おばちゃまの質問に、扇子を広げたり閉じたりしながら
yes, yes, yesとうれしそうに答えてる。

「このファン(扇子)、どうやって作るのかなあ」

5歳児の頭の中には、カナダでの新生活はどう?
なんて疑問は、一切ないらしい。

大好きな和食ご飯のあとは、恒例の赤ちゃんごっこ

赤ちゃん人形”Baby”に、ミルクを飲ませ
滑り台で遊ばせ、お布団をかける。

普段は、レゴや鉄砲が大好きで、人形遊びなんて
全然しないけど、ナーナの家では、モードが切り替わる。

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ママが小学生の時に編んだ小さなマットやポンポンが
赤ちゃんの毛布やまくらになり、ミルク瓶は
ロンドンの蚤の市で見つけたアンティークの香水入れ

持参したピストルのことは、すっかり忘れ
ふんわり世界に惹きこまれる。

弟との取り合いも、譲り合いもない、平和な時間
私にとっても、この、笑いに満ちたひと時は
最大の癒し効果あり。

お風呂も、寝る前の本読みも、たっぷり、ゆったり
電気を消して5分後には、もう寝息が聞こえてきた。

翌朝は、レゴでひとしきり、家づくり

それから、ピアノをあけて、「パパがやってた」という
ドレミだけの「曲」を人差し指で弾き出した。

軽快なリズムで、なかなかイケてるけど
何度も繰り返すから、耳が痛くなってくる。

30回ぐらいやったところで、隣に座って
「こういうの、教えてあげようか」と
簡単なメロディーを弾いてみた。

"No!!"

「でも、楽しいよ。やってみようよ」

"No, I want to do what I want to do!"
(僕がやりたいことをやりたいんだ!)

この一言に、ガーンときた。

 こんなこと言えるなんて、いいなあ〜

私が子どもの頃は、絶対こんなこと言わなかった。

だいたい、日本語のコミュニケーションには
「〜したいよ」が圧倒的に少ない。

日本人の子どもだったら、こういう時

「やだ!」
「これがいいの!」
「そんなのやりたくない!」
とか、言うのかな?

でも、「これがいい」には「やりたい」がないし
「そんなのやりたくない」は「たい」はあるけど、否定形

前にも書いたけど、日本語で子どもに問いかける時は
「今日は何したい?」より
「今日は何しようか?」の方が普通

大人同士の会話でも、友だちに
「この店、入りたい?」とは言わず
「この店、どう?」「この店、入ってみる?」と言う。

日本語の会話では、「〜がしたいか」と問い合う習慣がない。
だから、「自分が何をしたいか」を意識化する機会が少ない
のではないか。

自分がしたいことを「したい!」と言えるのは
ものすごくエンパワリング。

みんなそれぞれ、したいことがあって
そのしたいことは、けっこう人によって違う。

 好きだから、したい
 興味があるから、したい
 おもしろそうだから、したい

好奇心旺盛な子どもたちは、したいことがいっぱいある。

でも、そういう気持ちを、大人が「いい悪い」と決めつけたり
「子どもがすべきことはみな同じ」と統制したりすることで
せっかくの芽が摘まれてしまう。

それでいて、あとから、「この子はやる気がない」なんて
言うのだとしたら、あまりにも残酷だ。

孫は、ナーナの勧めをきっぱり断り
依然として、3音だけの、単調な曲を弾き続けた。

その理由は、単に「やりたかったから」

あっぱれ!

 みんながしてるからやるんじゃなくて
 自分がしたいからやる。

 大人がいいと言うからやるんじゃなくて
 自分がしたいからやる。

 そうするべきだからやるんじゃなくて
 自分がしたいからやる。

自信をもって、「これがしたい」と言える子どもを育むには
そういう子どもの意志を尊重し、応援できる大人が必要

そういう大人になるには、自分自身も、好きなことをし
やりたいことをする。

自分を縛っている間は、周りの大人や子どもを縛りたくなる
ものらしいし...

私も「うん、教えて!」と言われたら、張りきっただろうし
Yes!という子どもを「素直」と呼びたくなる誘惑もある。

でも、意志が強くて、ちゃんとNo!と言えるということは
自尊心が高いということ。

そんな社会をつくっていきたいね〜

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Happy Easter!

posted by bianka at 13:19| Comment(0) | 自尊心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月12日

遠くても近い関係

次女がカナダへ発った。

初めは3週間の旅行のつもりだったのが
どうぜなら、長期滞在してみたいということになり
2年間有効のワーキングホリデービザを取得

「一人も知り合いはいないけど、無性に惹かれる」
バンクーバーに居を構えることとなった。

目下の夢は、ドキュメンタリー制作に関わること

ビデオ・映画制作のキャリアを生かした
おもしろい仕事に巡り合えるといいけれど
どんな展開になるかは、本人にもわからない。

初めて「長期滞在する」と聞いた時は
Exciting!と「えっ、いなくなっちゃうの?」が混在

でも、聞けば聞くほど、今の彼女にはピッタリの選択で
道が開けて行きそうな気配だし
着実に準備を進める姿に、不安はなかった。

ただ、愛娘であるばかりか、親友でもある彼女が
遠くへ行っちゃうなんて、やっぱり寂しい。

幸い、半年ぐらい前に、車を売り払い
週末にうちに来る回数が、ガタンと減った。
(うちは山の中なので、車じゃないと来れない)

これが「泊りがけのおしゃべり」を手放す練習となり
心の準備を促した。

それでも、何かの拍子に突然大泣きした日もあったし
上司が書いてくれたという推薦書を読んでは涙ぐみ
辞める職場の人たちの温かさに感動し...と
「いよいよ行っちゃうんだあ〜」感が高まってた。

出発の前日は、元夫とパートナーのファームで家族壮行会
幼い甥っ子たちには、叔母ちゃんの旅立ちなんて、なんのその
大人たちも軽やかハッピームードに包まれて
前途を祝い、未知の冒険への期待を寄せ合った。

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でも、さすがに、空港での別れは辛いだろうと
翌日は覚悟を決めて、家を出た。

 泣き崩れたら、元夫のパートナーがカウンセラーだし
 助けてもらおう〜(拡大家族の威力)

ところが、彼らは用事があって、少し前に帰ることになり
最後のひと時は、娘と私だけですごすことに。

でも、その間も、新しい「章」に繰り出す娘の嬉しそうな姿に
こっちもワクワクするばかり

最後に長〜いハグをした時も、愛とつながりを感じ
涙ぐみはしたけど、気持ちは軽かった。

颯爽と、搭乗口に消えていく娘を見送り、帰途につく間も
晴れ晴れ、うきうき

You will miss her so much!と共感してくれてた友達には
「そうなるはずだったんだけど...」と報告

これって、私の心が満たされてるから?なんて
ちょっと嬉しくなったり

でも、それより大きな救いは、スマホさまさま

だって、同じ街にいるのと変わらないコミュニケーションが
ただで、スイスイできちゃうんだものね。

現に、経由地のサンフランシスコから
「ケースの鍵が開かない〜」というメールが入った。

離陸直前に手荷物ケースの取っ手が壊れてしまい
元夫のパートナーと私で新しいケースを買ってあげる
というハプニングがあり...

そのケースにロックがかかってしまい、説明書はケースの中

結局、インターネットの神のおかげで、一件落着したけど
こんな会話も、普通にできちゃうなんて、すごい時代!

私が、昔、フィリピン経由でイギリスに行った頃は
国際電話なんて、とても高くてかけられなかったし
フィリピンから家族に出した絵葉書は
切手を盗まれたらしく、結局届かなかったと後で聞いた。

あんな時代に娘を送り出した親は、たくましかったね〜

イギリスだろうがカナダだろうが、いつでも交信できる
この恩恵は、何にも代えがたい。

「海の向こうへ行っちゃった」なんて思うけど
実際には、ボタンひとつで声も聞けるし、顔も見れるし
近くにいても音信ない人より、ずっと身近〜

 離れていても、心はつながってるよ

言い古された言葉だけど、つくづく実感するこの頃です

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posted by bianka at 09:27| Comment(0) | つながり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年02月07日

「気持ちのいい」方を選ぶ

「最近、急に政治に目覚めた」という友達と、政治の話をした。

彼女のスタンスは、できる限りの情報を集め、対立する政党双方の言い分を
徹底的に調べ、吟味し、公平な判断を下したいというもの。

先行研究を読み、緻密に分析し、そこから自らの論理を構築していく
という、彼女の研究者としての在り方そのものだ〜と感心した。

私はと言えば、たとえ自分が共感する政党であっても
自分が惹かれる人の話しか、聴きたいとも読みたいとも思わないし
共感しない政党の言い分などは、見出しだけで十分と思ってしまう。

だから、政治や社会のできごとには、大いに関心があるのだけど
きちんとした議論は全くできない。

「どうして、彼らを支持するの?」と聞かれたら
"It just feels good." 「いい気持ちになるから」

子どもの学校にシュタイナー教育を選んだ時も、そうだった。

ミュンヘンの中学生」を一冊読み、「すごい!」と感動し
シドニーで実際にシュタイナー学校を見て、一目ぼれ
すぐに長女を入れてしまった。

その後、シュタイナーの哲学を勉強する会とかに
数回、出たこともあったけど、あまり気分がのらず...

音楽や美術や踊りがいっぱいで
子どもたちが伸び伸び、楽しそうというだけで十分
下の娘が高校を卒業するまで、16年間、お世話になった。

この国に移住した時もそう。
シドニー在住の間に、数日間、家族で見に来て
シュタイナー学校の先生と出会い、コロマンデルの美しい海に魅了され
素敵な売家を見つけ、あっという間に決めてしまった。

もっと、きちんとした人だったら、この国の政情はとか
経済状況はとか、いろいろ調査するのだろうけど
そんなことは一切おかまいなしに、it just feels great!
という理由だけで、移住した。

大事な選択をする時のアドバイスは
「あらゆる情報を集め、慎重に」が主流

でも、あふれる情報の中から
真実と偽りを見分けるのは、難しい。

その上、選択肢が多すぎるという、贅沢な悩みもある。

それだけに、「自分の直感に頼る」という昔ながらの方法が
ありがたく、功を奏する。

直感を「自分だけのもの」と思うと、不安になるけど
直感というのは、天と直結してるらしい。

だから、直感に頼るということは、天に委ねること

「そっちはちょっと違うよ」という時は
ちゃんと天が介入して、知らせようとしてくれる。

 連絡してるのに返事がない
 会うはずの日に、雪で電車が止まった
 パソコンが壊れて、必要な書類が作れない

物事がすいすい行かない時は、一時停止して、方向を見直す

ずっと、いい気持ちで続けてきたけど、なんか、気持ち悪くなってきた〜
みたいな時は、そのまま、ぐんぐん押さないほうがいいのかも。

政治に目覚めた友達は、直感もものすごく鋭い。
だから、彼女は調べることをめいっぱい楽しみながら
選ぶところでは、大いに直感を使ってる。

 楽しい、気持ちいい、す〜いすい

その辺がバロメーターかなあ〜

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Raglan これはコロマンデルではないけど
27年前に魅了されたのは、こういう景色でした💓

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2018年01月19日

古いものと出会う

東京で、長女の買い物につき合った。
日本の冬は久しぶりの彼女にとって
色とりどりのカシミヤや、造りの丁寧なコートは目新しい。

2児の母であり、フルタイムで働く長女とは
普段は一緒に買い物に行く機会など、まずない。

この優雅で、贅沢なひと時を、心からありがたく思う。

長女はお気に入りを何点か見つけ、大収穫だったけど
私は、結局、何も買わなかった。

素敵なものがあふれてはいるのだけど
ほしいものがない...という、不思議な感覚

質のいい生地を触ったり、斬新なデザインに感動したり
それだけで、満足してる自分がいた。

私の東京での楽しみのひとつは、古着屋巡り

この国にも何軒か、行きつけの古着屋さんがあるけど
東京の古着屋さんは、さらにおもしろい。

 レトロな刺繍入りのカーディガン
 60年代風のプリーツスカート
 レースの襟付きワンピース

お気に入りアイテムは、何年たっても飽きが来ない。

今回の収穫は、赤いパンツ

なんてことないデニムのパンツなのだけど
こういう赤がなかなかなくて、巡り合えないでいた。

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古着探しの鉄則は、「こういうのがほしい」と
思わないで行くこと。

ある一定の型・色・生地などを想定していくと
絶対に見つからない。

「何かいいものあるかなあ」と、フラッと入るのがコツ

あとは、忙しい時には行かないこと。
時間に制限のある時は、引きつけのパワーが鈍る。

今回も、何の期待もなく、近くのアンティーク屋さんをのぞいた。
すると、家具の隙間に置いてるラックに、このパンツが!
まさに探してた赤。サイズもピッタリだった。

アンティークの家具を見るのも好き💓

飛行機で持って帰ることもできないし、東京では見るだけだけど
昔のちゃぶ台とか、鏡台とか、ドキドキしちゃう。

古いものとの出会いは、何かに導かれてるよう...

うちのテーブルも、そうだった。

 明るいティーク
 すっきりとした直線のデザイン
 両脇から伸ばして、広げられる

ぴったりかも...と思って連絡したら、「残念ながら、売れたところで」と。
でも、翌日、「配達したけど、小さすぎたので、戻ってきました!」

セットの黒い椅子は売れてしまってたのだけど
しばらくして、同じティーク材の椅子が見つかった。
オリーブ色はうちの色合いにぴったり〜

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古いものは、どんな人が使ってたかわからないし...
という懸念を呼ぶ。

使ってた人の「気」が入ってるものを、受け継ぐわけだしね。

だから、お店の感じや、売り主のエネルギーに注意して
ちょっとでも強いる気配があったり、流れが途切れるときは
さっとあきらめる。

でも、す〜っと進んで、やさしい気分に包まれたら
GOサインととる。

そんな風にして、来てくれたものたちは、喜びをいっぱい運んでくれる。

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世田谷ボロ市で出会ったブローチ

posted by bianka at 11:05| Comment(0) | 委ねる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年12月10日

年の瀬のデトックス

期末試験の採点中に、急に熱が出た。
幸い、一日寝てたら、下がったので
続きを終えて、成績を出し、ほっと一息...

したとたん、今度は、吐き気と下痢のアタック

孫から娘にうつってたtummy bug(ウィルス性胃腸炎)らしい。
でも、症状は軽めだし、2,3日おとなしくしてたら治るだろう
と高をくくってた。

ところが、一週間たっても食欲ゼロで、お腹も落ち着かない。
それに、すぐ睡魔に襲われて、昼間からグーグー寝入ってしまう。

次の週は、いくら何でもと思ったけど
まだまだ菌が潜んでいるらしく、全然力が入らず
流動食のせいか、体重がどんどん減っていく。

外は連日、快晴日和、真夏のようにさわやかなのに
できるのは、お花の水やりぐらい...

 本格的療養生活だ〜

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昔、スペインの小さな村で、断食したのを思い出した。
プールやジムがあって、マッサージとかもしてくれる
すてきなセンターでの、至れり尽くせりのデトックス(解毒)は
優雅な体験だった。

この国に来てからも、自然たっぷりの施設で、ジュース断食を
何度かやったことがある。

まだ、子どもたちが小さかった頃、ゆったりと
自分のために、デトックスができる時間は
数日ではあっても、とても贅沢だった。


今回は、そういうつもりじゃなかったけど
体が、深い休息と浄化を求めてる。

 これって、長期的、断食プログラム?

体が、いろいろリセットしてくれてるんだろうなあ
と思いながら、力を抜いて(というか、抜く力もない!)
身を任せるしかない。 

この、カタツムリのような回復ペースには、何らかのわけがあるはず...

思い当たることと言えば、いつもながらの「やりすぎ」

仕事の量は減らしてるし、「すべき」も削り
気の進まないことは、なるべくスルーしてはいるけど
時には、いろいろ重なって、忙しくなることがある。

以前は対応できた「多忙」というものが、年々しんどくなって
普段の2割増しぐらいでも、体が敏感に反応する。

もちろん、「年だから」という要因も大きいだろうけど
それ以上に、自分の中の「やりたくない」「忙しいのは嫌」という気持ちと
関連があるのかも。

賢い体が、ちゃんとモニターして
「やりたくないのに、そこまでやるの?」
「忙しいのが嫌なら、これ以上、無理ですよ」と
一線を引いててくれて

それを越すと、「休まなきゃだめ」モードになって
休養を強いられる...

この線が、目に見えれば、越えないようにできる(かもしれない)けど
こればっかりは、越えてから気づくという、愚かなことに...

でも、降参して、ひたすら休んでる限り
体は賢明に、淡々と、必要な治癒作業を進めてくれる。

薬も注射もなく、「静養」という処方箋だけで...

 これが奇跡じゃなければ、何??!!

改めて、自分の体に、心から感謝
そして、体が引いてくれてる「線」を大事にしたい!と思う。

それは、もっとちゃんと体の声を聴くということ

どうせ、静養するなら、体がしんどくなる前に、優雅に、楽しくやりたいものね〜

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2017年11月04日

ありのままを見本に

"Trick or Treat?"

海賊、ゾンビ、お姫様、スーパーマン
いろんないでたちの子どもたちが
小さなかごやバッグを差し出す。

例年、うちは、なるべく砂糖抜き
ドライフルーツやナッツの詰め合わせ

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でも、今年は、思い切って、お菓子をやめてみた。

待ち構えてる子どもたちに
「お菓子はないのだけど」と言いながら
鉛筆の入ったかごを見せた。

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 うれしそうに選ぶ子
 「これは何?」と戸惑う子
 (翌日、孫の家に持って行ったら、2歳児がアメと間違えて
  口に入れようとした!)
 「2本もらってもいい?」と聞く子
 "Thank you!"と握手を求める子

お菓子じゃないとわかったとたんに
くるりと背を向けたのは
高学年の男の子、一人だけだった。

もしかすると、あの子は、去年
ドライフルーツとわかったとたんに
"No, thank you"と言った子だったかも〜

この国のハロウィンは、北半球と反対で、春
夏時間に入ってるから、夕方も8時ごろまで、陽が差す

だから、カボチャに火を灯してお化け〜みたいな雰囲気はなく
変装した子どもたちが、ぞろぞろ歩く様子は、いたって明るい。

うちの通りは、車も少ないし、安全極まりないけれど
小さい子には、親が付き添うこともある。

今年も、お姫様のドレスを着た、2歳半ぐらいの女の子が
お父さんに連れられて来た。

鉛筆を見て、戸惑ってる娘に
お父さんが、横から
「どれにする?」「一本選んで」と
早口に、急き立てる。

やっと選んで、鉛筆に手をかけたとたん
「お礼は?」「何と言うの?」

女の子が、蚊の鳴くような声で
Thank youと言うと、すかさず"Good girl!"

でも、サングラスをかけたお父さんは
その間、一度も私の方を見ず、無言で、そそくさと立ち去った。

子どもにこうしろ、ああしろと言う大人自身が
実は、そのことをやり忘れてる...ということが、よくある。

 「スマホばかりやるな」と叱る父親が、スマホばかりやってたり

 「お父さんにそんな口の利き方しちゃだめ」とたしなめる母親が
  夫婦ゲンカになると、夫をののしったり

 「先生の話をよく聞きなさい」と命令する教師が
  生徒の話に耳をかさなかったり...

でも、子どもは、大人の「言葉」より、その「姿」を見て育つという。

だから、いくら、正しいことを、言い聞かせようとしても
子どもにとっては
  
 いつもスマホをやってるお父さん
 お父さんをののしるお母さん
 生徒の話を聞こうとしない先生

の「姿」のほうが、見本になってしまう。

でも、親も教師も人間だし、常に「よき姿」を見せるなんて
絶対無理

サングラスのお父さんも、あの日は、急いでたのかもしれないし
何かの事情で、機嫌が悪かったのかも...

なら、「見本」の定義から、「正しい」「模範」をとっちゃって
「見本」=「正直」にしてみたらどうだろう?

「怒ってないよ!」と怒り顔で言ったり
 涙を流しながら、「全然平気」と強がったり
 自分も嫌いだった勉強を「しろしろ」とむやみに強制したり

...を、できるだけ、しないで

代わりに、「腹が立っ、悲しい、辛い」ということを
子どもに伝えてみる。

「理由はあとで話すね」でもいいわけだし。

または、「お母さんも、勉強苦手だったんだよ」と
本音をシェアしてみる。

「子どもに親の弱さやもろさを見せるのはよくない」という考えもあるけど
子どもは、かえって、大人の弱さやもろさを見たら、安心するんじゃないかな。

で、大人もそれで、楽になる。

 ありのままの姿を見本にしちゃう

そんな風にできたら、win-win かもね〜

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posted by bianka at 10:15| Comment(0) | 自己表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

天からの使者

ずっと孫たちを看てくれてたお姉さんが
外国に行ってしまい、新しいお姉さんが来た。

まじめで、きれい好きで、きちんとした方だったのだけど
何事も、ちょうどいい加減というものがあるようで
彼女の、きちんとしすぎた空気が、家中に充満して
子どもはもちろんのこと、大人まできゅうくつになってきた。

でも、お互い慣れてきてはいるし...と
どうにか、やってたら、彼女の方から、辞めますと。

契約上は、あと数週間あるのだけど
辞めたい人に子どもを任せるのも...
とうことで、急遽、臨時の人を探すことに。

その午後、いつものようにハ〜イとドアを開けると
5歳の孫が、嬉しそうに飛び出してきた。

2歳半の弟は、散乱したおもちゃの真ん中に
おばちゃんと二人で、ニコニコ座ってる。

持ってきた食料をキッチンに置きに行くと
リビングには、椅子と毛布やシーツで作られた要塞があり
ここから入るんだよと教えてくれる。

昨日までは、チリ一つなく、整然としてた家が
子ども天国に戻ってる!

おばちゃんとは、みんなが初対面だったのに
ずっと知ってるみたいな錯覚に...

よく笑い、オープンで、元気なおばちゃんは
Lovely boys!と繰り返し、So much fun!
と楽しそう。

兄弟仲はどうだった?との問いには
They are just brothers!

素手でおうどんを食べる子たちを見ても
驚くどころか
「手で食べると、食べ物の感触がよくわかっていいよね」

そして、「インドでは右手だけで食べるのよ」と
一年住んでいたというインドでの習慣を、話してくれた。

自由で、明るく、軽やかなエネルギーは
そばにいるだけで、ほっとする。

張り詰めた中で、縮こまっていたものが
ふわふわ、トロリと溶けていく。

おばちゃんは、天からの使者だ〜

 こういう人も、ちゃんといますよ〜
 だから、無理して、合わない人をとどめておく必要は
 ないですよ〜

メッセージは、タイミングよく届く。

 難しい恋人と別れたとたんに
 気さくで楽しい人が現れたり

 嫌だった仕事を辞めたとたんに
 ありがたいオファーが舞い込んできたり

まるで「勇気を出して、手放したご褒美」のごとく

それは、一瞬の出会いかもしれないし
ずっと続く状況ではないかも

でも、最適のタイミングで
明るい光がさし、よりよい例が、提示される。

このおばちゃんも、定期的には来てもらえないけど
子どもたちには、やっぱりこういう人がいいよね〜
ということを、見せてくれた。

状況が悪化してきた時に、がんばって続けるべきか
思い切って、手放すべきかの判断は、すごく難しい。

「あきらめる」には「敗北感」が伴うし
聞こえてくるのは
「これで十分、ぜいたく言うな、そのぐらい我慢しろ」
ばかり...

でも、謙虚に生きるということは
それ以上を求めないということではない。

やっぱりダメだ〜となったら
思い切って、手放してみてもいいのかも

そして、天の力を信じよう。

 天はちゃんと見ててくれるから、大丈夫

またまた、そのことを教えていただきました。

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posted by bianka at 11:49| Comment(2) | 手放す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

口下手バンザイ!

日本語弁論大会で、審査の役を仰せつかった。

元々、順位をつけたりするのは、性に合わない方だけど
日本語でのスピーチを聴くのは、楽しい。

今回は、日本語学習歴3年から5年目までの高校生が集まり
3つのレベルに分かれて、競い合った。

上級レベルでは、上位3名に、個別に面接して
日本語での質疑応答を行った。

3つのスピーチは、どれも質の高い秀作だったけど
個別の質疑応答で差がついた。

語学のコンテストである限り、質疑応答での能力も
当然、考慮される。

でも、この日の体験は

 自信たっぷりハキハキと話せる人 vs そうでない人

について、改めて、想いをめぐらす機会になった。

数年前に、日本の大学生を迎えて、研修をした時のこと

その年は、たまたま二人とも男子学生だったのだけど
二人の性格が対象的だった。

一人は、アメリカ留学経験もあり、英語も流暢で、自信家で積極的
もう一人は、控えめで、おっとりしてて、言葉数も少ない。

二人に投げかけたこちらの(日本語での)質問に
テキパキと答え始めるのは、もちろん、積極的な学生の方。
そして、その雄弁な返答の後で、もう一人が、ぽつぽつと
言葉を選びながら、話し出す。

このパターンが何度か続いた後、私は雄弁な学生を、話の途中で遮った。
「言おうとしてることが、よくわからないのだけど」という私の言葉に
彼は「実は、自分でも何が言いたいのかよくわからない」と。

よほど注意して聞いてない限り、高尚な語彙を並べながら
滑らかに続く話は、優れた印象を与える。

彼曰く、アメリカでは何か言わないとバカだと思われたので
とにかく、なんでもいいからしゃべる癖がついたと。

アメリカの大学生は、教師の質問が終わる前に、手を挙げ
手を挙げている間に、答えを考える...という話も聞いたことがある。

カナダの大学で博士号をとった日本人の友達が
あるグループワークの後で、話し合いの要点を発表した。

日ごろから、セミナーなどで話し慣れている彼女の
流暢で、美しい言葉の連なりは、プロそのもの。

でも、結局、要点が何だったのかをつかみそこねた気がして
あとで、彼女に聞いてみたら
ケロっと、「まとまった意見にはならなかったからね」と。

まとまってないことまで、まとめられちゃうんだ!

 バラバラだったものを、それらしくまとめ
 自分でも言いたいことがわからないまま、話し続け
 突然の質問にも、それなりの答えを、ちゃんと提供する

ことができる人達がいる反面

 バラバラだったから、うまくまとめられない
 何を言えばいいかわからないから、黙り込んでしまう
 突然の質問に、とまどって、まごついてしまう

人達もいる。

後者は前者に劣るのか?

学校や会社の面接でも

 ハキハキ、テキパキ、滑らかに、淀みなく=〇
 ボソボソ、とつとつ、途切れがち=×

となるのが普通だし、伝えたいことを、うまく伝えられれば
それに越したことはない。

でも、私は、ゆっくりと、ためらいがちに話した研修生の言葉が
心にズシンと響いたことも、忘れたくない。

 時間をかけて考え、自分自身の言葉を探し、心を込めて発信する

そういうスローなプロセスが

 苦しんでいる人に、安らぎをもたらし
 恐れていた人に、勇気を与え
 絶望の闇に、光を灯す

ということもある。

 口下手バンザーイ!

言い古された言葉だけど...

やっぱり... やっぱり、中身なんだよね〜

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posted by bianka at 14:44| Comment(0) | コミュニケーション | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月30日

勝ち負けのない世界

幼い子どもの世界には、勝ち負けがない

なんて言うと、「いえいえ、うちの幼稚園児は、競争心旺盛ですよ」
と返されそう...

確かに、紅組白組対決の運動会は、年中行事だし
何とかコンクールに出場して、賞を勝ち取る幼児もいっぱいる。

ある研究結果によると、「勝ちたい」と思い始める年齢は、4歳だと。

 3歳児以下は、自分たちのチームが勝つ方法を選ばないが
 4歳児は、勝つのに有利な方法を選ぶ

とある...

でも、「勝つ方法を選ぶ」子が、必ずしも「勝ちたい」と思ってるかどうかは
わからない。

単に、4歳になると、「勝つためにはこうしたほうがいい」と考えて
それに伴った行動ができるようになる...だけなのかも?

うちの4歳の孫も、最近は、理解力が高まってきて
幼稚園のゲームなどでは、「勝利」を収めることもあるらしい。

でも、私が観察する限り、「勝ち負けを意識してる」様子はなく
ただ遊びそのものを楽しんでるという印象だ。

この子も、そのうち「勝った〜!」という表現を覚え
勝利を喜び、「勝ちたい」という気持ちを持つようになるのかな?

「勝ちたい」という気持ちは、ある一定の年齢になると
湧いてくる本能なのか?

それとも、大人から受け継ぎ、学びとっていく価値観なのか?

私は幼いころ、ゲームで負けると怒ったらしい。
それに閉口した父が、わざと負けてくれたこともあったとか...

せっかく楽しいゲームをしてたのに、最後に、だれかが勝って
順位がついて、一番ビリが決まる...

そんなの、だれでも嫌だよね?

 「くやしかったら、次はがんばれ!」

負けた時の気持ちは、「悲しい」んじゃないかと思うけど
メソメソしててもラチがあかないから、「くやしさ」をテコに
勇ましく立ち向かうことを奨励される。

 「社会」は、競争だらけなんだから、それに備えるためには
 負けてもへこまない、粘り強い人間にならねば!

大人は、自分の価値観を、まるで絶対なるオキテのように
子どもにどんどん刷り込んでいく。

「負けてもへこまない」???

負けたら、誰でもへこむでしょう?

少なくとも、「勝つ=優れている 負ける=劣っている」
という価値づけのある社会では...

幼い頃のトラウマのせいか、私は競争が苦手だ。

その後、トランプやゲームで負けても平気にはなったけど
「勝ち負け」というコンセプトには、今でも違和感を覚える。

シュタイナー教育に惹かれた理由のひとつは
テストや競争がない学校と聞いたから。

今でも思い出すと笑ってしまうのは、中学生だった長女が
ハードルの選手に選抜されたときの話。

シュタイナー学校は、芸術教育は盛んだったけど、スポーツにはそれほど
力を入れてなくて、設備とかも、あまり整ってなかった。

地区競技会の当日に、「がんばってね!」と送り出そうとすると
長女が、「ぶっつけ本番だから、どうなることやら」と言う。
ハードルが学校には7台しかないから、10台全部跳ぶのは今日が初めて...と。

何とものどかな学校だったなあ〜

大人が躍起にならなければ、子どもはのんきなもの

逆に言えば、大人の言動は、責任重大ということにもなる。

本気で、「元気にのびのび」育ってほしいと思うなら
自分の価値観の総ざらいをする必要があるのかも。

子どものうちに、競争の厳しさを教え込んでおかなければという
考えは、長女を見る限り、不要のよう。

比較的競争が激しいと言われる、法律業界での仕事を
長女は、根っから楽しんでる。

自分が根っから好きなことをしてたら、競争とかって
あんまり関係ないのかもね〜

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木登りが大好きな孫
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2017年07月14日

人の話をちゃんと聴く

日本で、ホリスティック教育の学会に出た。

それまでの協会を基に、ホリスティック教育/ケア学会が創設されるという
記念すべき集いだった。

シンポジウムでは、「ホリスティック」という言葉の意味を再確認し
現状の課題に対して、どういった応答をしていくかなどが、論じられた。

とても印象に残ったのが、コメンテーターの方の発言だ。

コメントの内容も、もちろん、有意義なものだったのだけど
それ以上に感動したのは、その方の「まとめ方」だった。

 数名の登壇者の発言から、それぞれ核となる部分を、丁寧に掬い取り
 わかりやすく言い換え、ポイントを3つに絞り、自分の意見を加え
 無駄なく、バランスよく...

その隙のない、みごとなまとめは、まるで芸術を鑑賞しているようだった。

この方は、教育学の教授だし、普段から、このようなまとめには
慣れていらっしゃるのではあろうけど、大学の教授がみな、このような
まとめ方ができるかというと、そうでもない。

 こういう技は、知能指数とは、相関性が薄い

ということが、長年、高学歴を持つ方々と職場を共にしていると
確信をもって、言えるようになる。

 コメントが、それ以前の発言に呼応していない
 細かい(関係ない)部分まで、延々と述べる
 みんながわかりきってることを、あたかも的に披露する
 相手の話が済まないうちに、畳みかける

などなど...

こういうことが起こるのは、単純に言って

 人の話を聞いてない

からではないか?

だって、ちゃんと聞いてたら、前の人が言ったことにつなげるでしょう?

そう、こういうのって、つながってないんだよね。

話もバラバラ、人の心もバラバラ....

ホリスティック教育の3つの合言葉は

 つながり・つりあい・つつみ込み

今回のシンポジウムでのコメンテーターは、これを全部、満たしてた。

 みんなの発言をくみ取って、バランスよくまとめ、自分の考えとつなげる

こういうことができる人は、社会的知性(social intelligence)が高いという。

「聴く」は、「耳」だけじゃなくて、「心」で聞くこと

まずは、本気で、人の話を、ちゃんと聴くってところからかなあ〜

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八大神社、京都
posted by bianka at 14:57| Comment(0) | つながり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月29日

言動を左右するもの

アメリカ人らしき元奥さんが、元夫がいかに素晴らしい父親であるかを
つづった動画が拡散されてた。

 決めた日時以外でも、息子に会いに来てくれる

 自分が買った贈り物に、「ママから」と書き添え
 元妻の姉妹の子どもたちの面倒まで看てくれる

 家の修理もしてくれるし、愚痴も聞いてくれるし
 息子が「大事な人リスト」を作っている横で
 「ママのボーイフレンドも忘れるなよ」と声をかけてくれる...

動画を観た人たちのコメントには

 なぜ、そんないい人と別れちゃったの?
 もったいない!

が続出。中には

 こんないい男と別れるようなあなたは、本当の愛を知らないのか?

といった、お叱りまで...

「すてき!」「いいなあ」「私の元夫もこんな人だったらいいのに」
みたいな肯定派も、時たま見られるけど
気にくわない!けしからん!的なコメントの方が、ずっと多い。

 元夫を「元妻のいいなりになってる、どうしようもない男」と決めつける男性
 「元夫をのさばらせる今のボーイフレンドの気がしれない」と懸念する女性
 「こんなのウソにきまってる」「信じがたいね」と頭から信憑性を疑う人たち

他人の人生を垣間見た人が、それについて、つべこべ言える場がある
という、奇妙な時代
言いたい放題のコメントが、それぞれの信念を浮き彫りにする。

 「元妻・元夫はこうするべき」「男・女はこうあるべき」「人間はこう生きるべき」

コメントの主たちは、自分の人生観をそのまま投影させて
それに合わない(と思える)部分を、憂い、疑い、裁く。

私たちは、ともすると、この「投影」ということを、無意識にしてしまう。

思考だけじゃなくて、感情が投影されることも多々あり。

 夫に捨てられた悲しみ・女にだまされた悔しさ・妻に逃げられた怒り

たまってる感情は、思いがけない場面で、染み出て(吹き出して)くる。

動画を見て、どう感じるかは、動画そのもののせいじゃない。

どんなに隠そうとしても、いろんな場面で、顔を出す「癒されてない感情」
自分でもなかなか気づかない「凝り固まってる思い込み」

こういうものが、絡み合って、感情を左右し、言動へとつながっていく。

人を批判してるつもりだったけど、元にあるのは自分だった...


自分をほぐすワークをしていくと、人を裁くことも減ってくる。

単純に、「へえ〜、いい子育てしてるじゃん?この子ラッキー!」なんて
喜んじゃえたら、人生、軽くなるよね〜

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南アルプスと田んぼ
posted by bianka at 15:32| Comment(0) | 気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

心の境界線を引く

「うまく線引きしてやっていかないとね...」

仕事の話をしていた時に、友達が言った言葉

「ここまではOKだけど、この先はNO」と自分で線を引き
「できないことはできない」としっかり伝えよう...という文脈だった。

この「線」というのは、心の境界線((boundary)のこと

この境界線が、うやもやだと

 頼まれたら、無理してでもやる
 おせっかいな助言でも、我慢して聞く
 誘われたら、気が進まなくても行く
 つまらない話でも、延々とつき合う

といった状況に陥る。

「この先はNO」という自覚がないから、人がズカズカ入ってくる。

と同時に、自分も人の領域に、侵入して

 疲れてても、人の分までやる
 頼まれもしないのに、助けの手を差し伸べる
 人が嫌がることも、率先してやる
 弱いものは、相手かまわず、面倒をみる

などの行動に出てしまう。

でも、これらは、どれもが一見、「いい人」のやること
だから、文句も言われず、重宝がられ...

本人も、自分の犠牲的・利他的・献身的あり方に、問題がある
などという意識は、毛頭ない。

でも、こういう無理や我慢には、限界がつきもの
ゆえに、いつか必ず、燃え尽きる時が来る...

 なんで、そんなにまでして、「いい人」になりたいの?

心の奥底を探っていくと、だれもが持つ、基本的な欲求にたどり着く。

 認められたい
 求められたい
 愛されたい

そうだよね〜、だれだって、愛されたいよね〜

でも
 無理しなくちゃ、認めてもらえない
 我慢しなくちゃ、嫌われる
 助けてあげなきゃ、愛されない

なんてことは、ないはず...

それに、いつかは、無理も我慢も続かなくなるんだから
その時がきたら、どうするわけ?

疲れ切って、うんざりした時が、チャンス!

人のことを考えるのをやめて、自分に焦点を戻す
そして、楽しい、やりたいと思うことを、いっぱいやる。

 子どもと思いっきり遊ぶ
 家族や恋人や友達とくつろぐ
 趣味に没頭する
 自然の中へ繰り出す

楽しい時間を最優先して、それを阻むものは、排除していく。

そのためには

 無理な頼みは断る
 ありがた迷惑な助言はスルーする
 気の進まない誘いは断る
 つまらない話を聞いてるふりをやめる

 人の分まで横取りしない
 頼まれもしないことに手を出さない
 犠牲になることでポイントを稼ぐのをやめる
 「弱いもの」を救う自分に陶酔しない

などの、調整が必要

(これは、職場、家庭、交友、恋愛...あらゆる人間関係に該当)

NOと言うのは、難しいけど、このNOは、自分へのYESなんだよね!

自分が心からYES!と言えるものを、選んでいくうちに
だんだんと、境界線が引かれていく。

 楽しい!楽々!軽い!すっきり!気持ちい〜い

線引きのバロメーターは、「いい気分」になるかどうか

本当の「いい人」って、最高に気分の「いい人」だったりして!

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Lake Wakatipu in Queenstown


posted by bianka at 14:11| Comment(0) | 自尊心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする