2018年09月17日

周りを幸せにする近道は、自分が幸せになること

Hi!と肩をたかかれて振り返ると、元常連が
I'm back!

久々に現れた彼女は、先生と仲間を前にして
「仕事を始めてから時間がとれなくて...」
と先生と仲間に申し訳なさそうな顔をした。

長年通ってるボディー・バランスというクラスでのこと。

ヨガとピラティスのクラスで、4,50人が大きなスタジオに集まり、音楽に合わせて、体を動かす。

初めて彼女に会った、というか、見たのは数年前

いつも一番前でしなやかに動く彼女の、褐色の肌とチリチリ髪とカラフルなレギンスに目を引かれた。

聞いてみると、南アフリカ出身で、黒人の血が4分の1入っているという。

会った頃は、子育てと家事を楽しむ主婦だった。
子どもたちが学校に行っている間にジムで運動
冬休みには、一家で南島へスキー旅行をしたり
しょっちゅう海外旅行もしているらしく、「来年は日本へ行こうと思うんだけど」なんて、相談されたこともあった。

それが、一年ぐらい前に、「夫の会社でパートをすることにしたの」と聞いて以来、姿を見せなくなっていた。

来れなくなった理由は「仕事は一週間おきなんだけど、仕事のない週は、家のことをしなくちゃなんないし...」

「でも、やっぱり、自分の時間も作らなきゃと思って」大決心をして、クラスに来たんだろうなあと察した。

「久々すぎて、ヨガマットがくっついて開かない」などとふざけながらも、クラスを満喫した風の彼女に、状況を聞いてみると

会社は夫ともう一人の所有で、その人の妻と交代で事務を。
でも、事務の仕事はおもしろくないし、全然したくない。
でも、夫が上司だと難しい。

「会社は繁盛しているんでしょう?」と聞くと

大繁盛で、オークランド市内に10件も不動産を持っている。

「なら、だれかパートの人に来てもらえば?」 

それが、夫は、自分が手伝っていることを喜んでいて、仕事が二人の関係を近くする要因にもなっている。だから、やりたくないと言いにくい。

そして、彼女は「夫が上司だと難しい」と繰り返した。

自分は今すぐにでもやめたいし、お金もザクザクあるけど、夫が、一緒に仕事をしたがっているから、やめられない。夫をがっかりさせたくない(怒らせたくない?)

この気持ち、よ〜くわかる。(お金はザクザクなかったけど)

私も昔、元夫の翻訳業を手伝っていたことがあった。一緒に時間をすごすのは楽しかったのだけど、元々、翻訳が好きじゃなかった私にとっては、彼を喜ばすためにやってた感が強かった。

人はとかく、他者を喜ばせるために、自分を犠牲にする。そして、それは「美徳」であると、解釈される。

でも、その美しく、徳に満ちるべく行為が、ともすると、自分をむしばみ、周りをむしばみ、自分も周りも不幸にすることがある。

自分のニーズを後回しにして、他者のためになろうとしたのに、結果的には、喜ばせようと思っていた人をも不幸にしてしまう。

いい人は、自分さえ犠牲になれば、自分さえ我慢すれば、すべてがうまく収まるはずと信じて、その道を選ぶ。

周りはそれを喜ぶし、自分も初めは達成感に浸るのだけど、それは長続きしない。

犠牲や我慢は、長期化するとヒズミが出てくる。

緊急事態における犠牲や、バランスのとれた譲り合いはもちろん必要。

でも、自分のニーズを犠牲にして、周りを幸せにすることはできない。

 周りを幸せにする近道は、自分が幸せになること

一見、順序が逆のようだけど、周りに水をあげるためには、まずは、自分のグラスの水をいっぱいにしておかないと。

ボディーバランスの彼女にも「自分がハッピーじゃなかったら、ハズバンドも子どもたちもハッピーになれないよね」とだけ、言っておいた。

自分のニーズ(夫の会社で働きたくない)と相手のニーズ(妻に自分の会社で働いてほしい)がぶつかった時、それをうまく交渉するのは、難しい。

でも、これをするために、これができるようになるために、生まれてきたんだよね。

 自分も幸せ、周りも幸せ

バランスのいい関係をめざして、今日も練習開始〜!

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ニュージーランドは春勢いよく命が芽生える
posted by bianka at 13:20| Comment(0) | バランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年08月20日

ブログを始めて7年たちました〜

昔から、悩みを聞くのが得意だった。

特に、習ったわけでもなければ、家庭でそういうことを
やってる家族がいたわけでもないので
「生まれつき」というやつだろう。

なぜか、人の話を聞くと、その真髄のような部分に
焦点が合って、全体像が見えてくる。

 なぜそんなに悲しいのか
 なぜそんなにつらいのか
 なぜそんな風に感じてしまうのか

でも、若い頃は、それに対して何をすればいいのかは
わからなかった。

だから、ただただ相槌を打ちながら、じっくり聞いて
たまに、慰めの言葉をかけるぐらいだった。

それが、自分の離婚をきっかけに
どんな解釈をして、どう対処すればいいのかが
だんだんわかってきた。

ありとあらゆる本を読み漁り
役に立ちそうなワークショップに参加し
セラピーも何度か受けてみた。

一番お世話になったのが
スピリチュアルなカウンセリングだった。

それを受けているうちに

 人が出逢う「災難」や「悲劇」には
 すべてそれなりの理由があり
 それは学びと成長の機会だ

ということを学んだ。

そして、

 学びたい成長したいと願っているのは
 私自身の魂そのものだ

ということも。

これは、読み漁っていた本の筆者たちも
口をそろえて言ってることだった。

でも、それを本当の意味で実感できたのは
自分自身の感情や思い込みに対面してからだった。

そして、その根底には

 愛に包まれている

という世界観があった。

これが正しいか正しくないかよりも
「そういう風に考えると、楽になる」
というだけで十分だった。

 人のせいにしているうちは辛いけど
 自分の責任だととらえたとたんに楽になる。

 だれかを嫌い、憎んでいる間はしんどいけど
 彼らを許したとたんに楽になる。

 先のことを心配してる間は不安だらけだけど
 大いなるものにお任せしてしまえば楽になる。

自分の中の思い込みを変えていくことで
どうにもならないと思っていた感情がほぐれていった。

そんなプロセスを体験しているうちに
同じような悩みを抱えた人たちに
自分が学んだことをシェアするようになった。

「聞いてもらって、心が休まりました」
「なんでそんなにわかるの?」
「おかげで、元気が出てきた〜」

こんな言葉をいただくようになって
話すだけじゃなくて、書いてみようかなあ
と思ったのが、7年前。

ブログの数も150を超えました

こうして読んでくださる方あってのブログです。
本当にありがとうございます。

スローペースで、細々ながらではありますが
読んだ方が、少しでも楽になり
「人生、楽しむぞ〜」みたいな元気が出てきますように...
そんな願いを込めて、これからもつづっていきたいと思います。

Thank you SO much for your continuous support

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ニュージーランドは春
うちの庭の桜も咲き始めました


















posted by bianka at 12:15| Comment(0) | プロフィール | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年07月26日

真っ暗な洞窟から差し込んだ愛と希望の光

タイの洞窟に閉じ込められていたサッカー少年たちが
無事、救出された。

12人の少年とコーチは、発見されるまでの9日間
何も食べずに、雨水を飲みながら命をつないだという。

それだけでも、奇跡以外の何物でもないけれど
その後の、増水した、危険極まる洞窟内からの救出作業
海軍特殊部隊の隊員たちをはじめ
世界中から駆けつけた、潜水士、医療チーム、エンジニア他
大勢の関係者とボランティアの人々の奇跡的ティームワークだった。

海軍の潜水士がひとり、準備作業中に亡くなった時は
そんな危険な場所から、衰弱した子どもを救うなどとうてい無理
...と悲観に包まれた。

でも、その悲しみも乗り越え、「彼の死が無駄にならぬよう」
豪雨の合間を縫って、救出作業が決行された。

発見されてから、さらに8日後、ついに最後の4人とコーチを無事救出

救出作業の責任者であった、地元の県知事は
「全員が生還できたのは、愛の力です」と感謝の辞を述べた。

愛の力 the Power of Love

まさに、救助にあたった人々はもちろんのこと
少年たちの家族の祈りや、周りの人たちの想いのパワーは
すごかった。

でも、パワーをもらったのは、助けられた人たちだけじゃない。

息をのみながら、じっと見守るしかなかった私たちも
愛と希望と勇気をいただいた。

まずは、あの見つかった瞬間の少年たちの笑顔

9日も何も食べないで、ヒョロヒョロになってるのに
親たちへのあいさつをする顔は、穏やかで、笑ってた。

boys in the cave

25歳のコーチが、お寺で修業をしたことがあって
子どもたちに瞑想を教えていてくれたそうだけど
子どもたちの目は、輝きを失っていなかった。

そして、勇敢な潜水士たち

泥水の中を必死に探り、岩間に潜む彼らを発見したダイバーたち
酸素ボンベを担いで、狭い洞窟内を何度も往復した海軍兵たち
ずっと洞窟に泊まり込んで、健康状態をモニターし
最後までサポートし続けた4人の潜水士たち

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協力した潜水士の数は90人にも及んだと言う。

そして、洞窟ダイビングが趣味のお医者さん!

子どもたちが救出中にパニックを起こさないようにと
鎮静剤を処方した麻酔医は、オーストラリアの洞窟探検家だった。

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Dr Richard Harris

このとても謙虚そうな麻酔医が、後で言ってたのは
「洞窟に潜るのは何でもないことだったけど、
衰弱した子どもたちを無事救えたのは、あの場にいた人たち
全員のおかげです

でも、いくら経験豊富とはいえ、衰弱した子どもたちに
あの状態で、「適量」の薬を投与するなんて....

「初めてだったので、タイの医師や国の医師仲間に相談の上やりました」

 人間ってすごい!
 まだまだ捨てたもんじゃない!
 ありがた〜い!!!

昨今のメディアで話題になる人たちの中には
自己中心、エゴだらけ、無知、意識低すぎ〜みたいな人も多いけど
この事件は「人間の可能性は無限」ということを思い出させてくれた。

 人間の生命力のすごさ
 人間のマインドの頑丈さ
 人間の団結力のすばらしさ
 人間の忍耐力の強さ
 人間の回復力の目覚ましさ

に、改めて感動し、感謝するとともに
自然への畏敬の念も新たにした。

救出から1週間入院して、すっかり元気になった少年たちは
亡くなった潜水士さんへの弔いもかねて
しばしの間、お寺に入るという。

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無邪気で明るい子どもたちを、やさしく見守るコーチと家族たち
そして、彼らを目いっぱい支える地域の人たち

タイの片田舎で起こったこの事件に
世界中の人たちの心が洗われた。

「お礼を言いたいのはこちらの方です

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2018年06月28日

休息日は休む

日本に一時帰国する前日に、陪審員の召喚状が届いた。
「〇月〇日午前8時45分に裁判所へ出廷すること」

陪審員を務めることは国民の義務であり
勝手に放棄した場合は、罰金が科せられる。

でも、正当な理由で出廷できない場合は
それを証明する書類を提出すれば、免除される。

とりあえず、メールのアドレスがあったので
「職務のため出廷できませんが、帰国次第、書類を送付します」
と送っておいた。

2週間後の早朝に帰国
荷解きを楽しみ、しばらく日本の余韻にひたった後
パソコンの前に座ると、机の上に例の召喚状が...

ああ、そうだ、これをやらなきゃいけなかった
と思い出し、土曜日だとはわかっていたのだけど
学科長にメールを書くことにした。

学科長と言っても、友だちでもあり、LINEで連絡もし合う仲なので
「ただいま〜」のあいさつもかねて
「上司からの証明が必要なのだけど、詳しくは月曜日に」
とだけ書き、あとは、月曜日に顔を見てから〜

....のつもりだったのだけど
それを読んだ彼女は、直ちに完璧な文書を作成して
PDFで送ってくれた。

「これでいいでしょうか」という彼女の言葉に
心から感謝すると同時に、「しまった」と反省した。

休日に仕事をさせるような連絡をしてしまった。

彼女の仕事が速いのは有名で、何でも頼むとささっとやってくれる。
でも、まさか、詳細を聞く前に書いてくれちゃうとは....

彼女自身は「ちょうど論文を書いてたとこだから」と
全然気にしてないようだったけど
寝不足の頭で下した判断は、大失敗〜

でも、すぐに書類を送れる体制になったので、ありがたかった。

ところが、月曜日の朝、出勤前にポストを見ると、法務省からの手紙が。

「ご連絡ありがとうございました。今回の出廷は免除されたことを
通知いたします。」

まだ正式な返事もしてないし、証拠となる文書も送ってないのに!

どうしてこうなったのかは不明だけど、はっきりしたのは

 何もしなければよかった

ということ。

「速やかな対応」は、物事がスムーズに進むためのカギだし
通常はいたってポジティブなこと

でも、時には、「早くやりすぎる」ということもある。

 すぐやるべきか、待つべきか

これを見分けるのは、至難の業ではあるけど
ひとつ言えるとしたら

 休みの日には仕事はしない

かなあ〜

職場でも、最近、学部全体への通知が、週末に入ることがある。
個人宛のメールならわかるけど
あたかも「週末も大学機能してます*」的メールは違和感がある。

(*うれしいことに、この国では、週末の大学は人っ子一人いないし
建物にカギがかかるので、容易には入れないのです!)

幸い、そういうメールを送る人は、今のところ、一人しかいないけど
同僚の中には、深夜や週末に来る、学生からの問い合わせにも
すぐに答える人たちがいる。

一日24時間、いつでもどこからでも交信できるのは
ものすごく便利で、ありがたい。

でも、それにいつ対応するかは、こっちが決めること。

「すぐに返事をしないと忘れる」という理由をよく聞くけど
それでも、星や旗をつけとくとかして
あえて、「夜や週末はお休みです」というスタンスを
崩したくはない。

休息日は休む

一見、単純で、当たり前のことだけど
これができない、これをしない人たちは
いっぱいいる。

しっかりと境界線を引いて
自分の休みを、堂々と守りましょう〜!

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実家の隣のお寺にて。梅が可愛かった
posted by bianka at 14:47| Comment(0) | スロー | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年05月12日

好きなものを着る

朝、目が覚めて、何が嬉しいかと言うと
「今日は、何を着ようかな」と考えること。

その日の気分と気温に合わせて
好きなアイテムを選び、組み合わせていく。

古着好きの私は、持ってる服の8割以上が
地元や東京の古着屋さんの掘り出し物か
娘たちのお下がり。

デザイナーのサンプル品も何点かあるけど
正規の値段で買った服は、数えるほどかも。

だから、金額的に贅沢なものはないんだけど
 昔ならではの造りのいいコートとか
 ちょっと変わったワンピースとか
 質のいいジーンズとか
何年も大事に着てるものが多い。

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(下北沢で見つけたヴィンテージのワンピース

前に、イギリスの大学から新しい教員が来た。
日本人だけど、イギリス生活が長かった彼女は
初めのうちは、いつもきちんとブレザーを着てた。

でも、そのうち、ジーンズにTシャツはもちろんのこと
ショーツやビーチサンダルの同僚たちを見るにつけ
彼女のファッションも徐々にくだけていった。

歴史の長いフォーマルな国と比べると
何かにつけ、この国はカジュアル

裸足でスーパーに行っちゃう人がいるぐらいだし。

でも、職種によっては、もちろん
スーツにネクタイ、スーツにパンプスという世界もあって
たまに昼休みにビル街を通ったりすると
そういう人たちが、颯爽と闊歩する姿を見かける。

高級なスーツや、シルクのツーピースに身を包む気持ちのよさ...
はすっごくわかる。

でも、毎日、同じような格好しかできないのは
ちょっとつまらない。

次女が、旅行に出る前の半年ぐらいを
法律事務所という「別世界」ですごした。

その時の第一声が、「着て行く服がない」

映画業界の彼女が持ってた服は、どれもカジュアルで
フェミニンなドレスとかは、肌が出すぎてだめ。

なので、姉に借りたり、古着屋で最小限調達し
半年間をどうにかしのいだ。

こういう時の助っ人が、制服

学校も会社も、制服があれば、服の心配はいらない。

でも、みんなと同じ服を毎日、着るなんて
耐えられない〜

 「個性を伸ばそう」という標語の横を
 同じ制服の生徒たちがゾロゾロゾロ...?

私が制服を着させられたのは、中学の3年間だけだったけど
すごい違和感があった。

だから、高校は絶対、私服のところへ!と心に誓ったし
娘たちの学校もずっと私服だった。

でも、世の中には、毎朝、何を着るかを考えるのが
おっくうでたまらない人も多いそう。

だったら、うちの高校がそうだったみたいに
基本的には私服にして(Yes!)、着たい人は制服もOKにすれば?

シキタリとか、流行とか、「常識」とか
世間はとかく、同じような格好をさせたがる。

でも、自分が着たい服を着ればいいんだよね。

新しい首相が、就任式に来た服も
スーツじゃなくて、この国のデザイナーのワンピースだった。

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NZのジャシンダ・アーダーン首相(左)

この鮮やかな色合いは、彼女の自由で、オープンなあり方の
象徴みたいに見えた。

いくつになっても、おしゃれを楽しみたい

このスタイリッシュなおじいちゃんみたいに

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(おしゃれなシニア男性のFacebookより)

posted by bianka at 10:18| Comment(0) | 自己表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年04月08日

やりたいことをやりたいよ!

久しぶりに、孫息子が泊りに来た。

いい気候になったし、私の体力も戻ってきたし
イースター休みにご招待した。

その日、孫は着替えや絵本の入ったかばんと
大きなレゴの箱をかかえて、ナーナの家にやってきた。

(というのはイメージで、実際には、車を降りて
玄関までの間、レゴの箱を運んだだけ)

着いたころには、そろそろ夕飯の時間
おうどんをゆでてる間
カナダに行ってるおばちゃまと、フェイスタイム📱

「一人で来たの?弟はおいて?今晩泊まるの?」
おばちゃまの質問に、扇子を広げたり閉じたりしながら
yes, yes, yesとうれしそうに答えてる。

「このファン(扇子)、どうやって作るのかなあ」

5歳児の頭の中には、カナダでの新生活はどう?
なんて疑問は、一切ないらしい。

大好きな和食ご飯のあとは、恒例の赤ちゃんごっこ

赤ちゃん人形”Baby”に、ミルクを飲ませ
滑り台で遊ばせ、お布団をかける。

普段は、レゴや鉄砲が大好きで、人形遊びなんて
全然しないけど、ナーナの家では、モードが切り替わる。

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ママが小学生の時に編んだ小さなマットやポンポンが
赤ちゃんの毛布やまくらになり、ミルク瓶は
ロンドンの蚤の市で見つけたアンティークの香水入れ

持参したピストルのことは、すっかり忘れ
ふんわり世界に惹きこまれる。

弟との取り合いも、譲り合いもない、平和な時間
私にとっても、この、笑いに満ちたひと時は
最大の癒し効果あり。

お風呂も、寝る前の本読みも、たっぷり、ゆったり
電気を消して5分後には、もう寝息が聞こえてきた。

翌朝は、レゴでひとしきり、家づくり

それから、ピアノをあけて、「パパがやってた」という
ドレミだけの「曲」を人差し指で弾き出した。

軽快なリズムで、なかなかイケてるけど
何度も繰り返すから、耳が痛くなってくる。

30回ぐらいやったところで、隣に座って
「こういうの、教えてあげようか」と
簡単なメロディーを弾いてみた。

"No!!"

「でも、楽しいよ。やってみようよ」

"No, I want to do what I want to do!"
(僕がやりたいことをやりたいんだ!)

この一言に、ガーンときた。

 こんなこと言えるなんて、いいなあ〜

私が子どもの頃は、絶対こんなこと言わなかった。

だいたい、日本語のコミュニケーションには
「〜したいよ」が圧倒的に少ない。

日本人の子どもだったら、こういう時

「やだ!」
「これがいいの!」
「そんなのやりたくない!」
とか、言うのかな?

でも、「これがいい」には「やりたい」がないし
「そんなのやりたくない」は「たい」はあるけど、否定形

前にも書いたけど、日本語で子どもに問いかける時は
「今日は何したい?」より
「今日は何しようか?」の方が普通

大人同士の会話でも、友だちに
「この店、入りたい?」とは言わず
「この店、どう?」「この店、入ってみる?」と言う。

日本語の会話では、「〜がしたいか」と問い合う習慣がない。
だから、「自分が何をしたいか」を意識化する機会が少ない
のではないか。

自分がしたいことを「したい!」と言えるのは
ものすごくエンパワリング。

みんなそれぞれ、したいことがあって
そのしたいことは、けっこう人によって違う。

 好きだから、したい
 興味があるから、したい
 おもしろそうだから、したい

好奇心旺盛な子どもたちは、したいことがいっぱいある。

でも、そういう気持ちを、大人が「いい悪い」と決めつけたり
「子どもがすべきことはみな同じ」と統制したりすることで
せっかくの芽が摘まれてしまう。

それでいて、あとから、「この子はやる気がない」なんて
言うのだとしたら、あまりにも残酷だ。

孫は、ナーナの勧めをきっぱり断り
依然として、3音だけの、単調な曲を弾き続けた。

その理由は、単に「やりたかったから」

あっぱれ!

 みんながしてるからやるんじゃなくて
 自分がしたいからやる。

 大人がいいと言うからやるんじゃなくて
 自分がしたいからやる。

 そうするべきだからやるんじゃなくて
 自分がしたいからやる。

自信をもって、「これがしたい」と言える子どもを育むには
そういう子どもの意志を尊重し、応援できる大人が必要

そういう大人になるには、自分自身も、好きなことをし
やりたいことをする。

自分を縛っている間は、周りの大人や子どもを縛りたくなる
ものらしいし...

私も「うん、教えて!」と言われたら、張りきっただろうし
Yes!という子どもを「素直」と呼びたくなる誘惑もある。

でも、意志が強くて、ちゃんとNo!と言えるということは
自尊心が高いということ。

そんな社会をつくっていきたいね〜

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Happy Easter!

posted by bianka at 13:19| Comment(0) | 自尊心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年03月12日

遠くても近い関係

次女がカナダへ発った。

初めは3週間の旅行のつもりだったのが
どうぜなら、長期滞在してみたいということになり
2年間有効のワーキングホリデービザを取得

「一人も知り合いはいないけど、無性に惹かれる」
バンクーバーに居を構えることとなった。

目下の夢は、ドキュメンタリー制作に関わること

ビデオ・映画制作のキャリアを生かした
おもしろい仕事に巡り合えるといいけれど
どんな展開になるかは、本人にもわからない。

初めて「長期滞在する」と聞いた時は
Exciting!と「えっ、いなくなっちゃうの?」が混在

でも、聞けば聞くほど、今の彼女にはピッタリの選択で
道が開けて行きそうな気配だし
着実に準備を進める姿に、不安はなかった。

ただ、愛娘であるばかりか、親友でもある彼女が
遠くへ行っちゃうなんて、やっぱり寂しい。

幸い、半年ぐらい前に、車を売り払い
週末にうちに来る回数が、ガタンと減った。
(うちは山の中なので、車じゃないと来れない)

これが「泊りがけのおしゃべり」を手放す練習となり
心の準備を促した。

それでも、何かの拍子に突然大泣きした日もあったし
上司が書いてくれたという推薦書を読んでは涙ぐみ
辞める職場の人たちの温かさに感動し...と
「いよいよ行っちゃうんだあ〜」感が高まってた。

出発の前日は、元夫とパートナーのファームで家族壮行会
幼い甥っ子たちには、叔母ちゃんの旅立ちなんて、なんのその
大人たちも軽やかハッピームードに包まれて
前途を祝い、未知の冒険への期待を寄せ合った。

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でも、さすがに、空港での別れは辛いだろうと
翌日は覚悟を決めて、家を出た。

 泣き崩れたら、元夫のパートナーがカウンセラーだし
 助けてもらおう〜(拡大家族の威力)

ところが、彼らは用事があって、少し前に帰ることになり
最後のひと時は、娘と私だけですごすことに。

でも、その間も、新しい「章」に繰り出す娘の嬉しそうな姿に
こっちもワクワクするばかり

最後に長〜いハグをした時も、愛とつながりを感じ
涙ぐみはしたけど、気持ちは軽かった。

颯爽と、搭乗口に消えていく娘を見送り、帰途につく間も
晴れ晴れ、うきうき

You will miss her so much!と共感してくれてた友達には
「そうなるはずだったんだけど...」と報告

これって、私の心が満たされてるから?なんて
ちょっと嬉しくなったり

でも、それより大きな救いは、スマホさまさま

だって、同じ街にいるのと変わらないコミュニケーションが
ただで、スイスイできちゃうんだものね。

現に、経由地のサンフランシスコから
「ケースの鍵が開かない〜」というメールが入った。

離陸直前に手荷物ケースの取っ手が壊れてしまい
元夫のパートナーと私で新しいケースを買ってあげる
というハプニングがあり...

そのケースにロックがかかってしまい、説明書はケースの中

結局、インターネットの神のおかげで、一件落着したけど
こんな会話も、普通にできちゃうなんて、すごい時代!

私が、昔、フィリピン経由でイギリスに行った頃は
国際電話なんて、とても高くてかけられなかったし
フィリピンから家族に出した絵葉書は
切手を盗まれたらしく、結局届かなかったと後で聞いた。

あんな時代に娘を送り出した親は、たくましかったね〜

イギリスだろうがカナダだろうが、いつでも交信できる
この恩恵は、何にも代えがたい。

「海の向こうへ行っちゃった」なんて思うけど
実際には、ボタンひとつで声も聞けるし、顔も見れるし
近くにいても音信ない人より、ずっと身近〜

 離れていても、心はつながってるよ

言い古された言葉だけど、つくづく実感するこの頃です

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2018年02月07日

「気持ちのいい」方を選ぶ

「最近、急に政治に目覚めた」という友達と、政治の話をした。

彼女のスタンスは、できる限りの情報を集め、対立する政党双方の言い分を
徹底的に調べ、吟味し、公平な判断を下したいというもの。

先行研究を読み、緻密に分析し、そこから自らの論理を構築していく
という、彼女の研究者としての在り方そのものだ〜と感心した。

私はと言えば、たとえ自分が共感する政党であっても
自分が惹かれる人の話しか、聴きたいとも読みたいとも思わないし
共感しない政党の言い分などは、見出しだけで十分と思ってしまう。

だから、政治や社会のできごとには、大いに関心があるのだけど
きちんとした議論は全くできない。

「どうして、彼らを支持するの?」と聞かれたら
"It just feels good." 「いい気持ちになるから」

子どもの学校にシュタイナー教育を選んだ時も、そうだった。

ミュンヘンの中学生」を一冊読み、「すごい!」と感動し
シドニーで実際にシュタイナー学校を見て、一目ぼれ
すぐに長女を入れてしまった。

その後、シュタイナーの哲学を勉強する会とかに
数回、出たこともあったけど、あまり気分がのらず...

音楽や美術や踊りがいっぱいで
子どもたちが伸び伸び、楽しそうというだけで十分
下の娘が高校を卒業するまで、16年間、お世話になった。

この国に移住した時もそう。
シドニー在住の間に、数日間、家族で見に来て
シュタイナー学校の先生と出会い、コロマンデルの美しい海に魅了され
素敵な売家を見つけ、あっという間に決めてしまった。

もっと、きちんとした人だったら、この国の政情はとか
経済状況はとか、いろいろ調査するのだろうけど
そんなことは一切おかまいなしに、it just feels great!
という理由だけで、移住した。

大事な選択をする時のアドバイスは
「あらゆる情報を集め、慎重に」が主流

でも、あふれる情報の中から
真実と偽りを見分けるのは、難しい。

その上、選択肢が多すぎるという、贅沢な悩みもある。

それだけに、「自分の直感に頼る」という昔ながらの方法が
ありがたく、功を奏する。

直感を「自分だけのもの」と思うと、不安になるけど
直感というのは、天と直結してるらしい。

だから、直感に頼るということは、天に委ねること

「そっちはちょっと違うよ」という時は
ちゃんと天が介入して、知らせようとしてくれる。

 連絡してるのに返事がない
 会うはずの日に、雪で電車が止まった
 パソコンが壊れて、必要な書類が作れない

物事がすいすい行かない時は、一時停止して、方向を見直す

ずっと、いい気持ちで続けてきたけど、なんか、気持ち悪くなってきた〜
みたいな時は、そのまま、ぐんぐん押さないほうがいいのかも。

政治に目覚めた友達は、直感もものすごく鋭い。
だから、彼女は調べることをめいっぱい楽しみながら
選ぶところでは、大いに直感を使ってる。

 楽しい、気持ちいい、す〜いすい

その辺がバロメーターかなあ〜

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Raglan これはコロマンデルではないけど
27年前に魅了されたのは、こういう景色でした💓

posted by bianka at 10:28| Comment(0) | 委ねる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2018年01月19日

古いものと出会う

東京で、長女の買い物につき合った。
日本の冬は久しぶりの彼女にとって
色とりどりのカシミヤや、造りの丁寧なコートは目新しい。

2児の母であり、フルタイムで働く長女とは
普段は一緒に買い物に行く機会など、まずない。

この優雅で、贅沢なひと時を、心からありがたく思う。

長女はお気に入りを何点か見つけ、大収穫だったけど
私は、結局、何も買わなかった。

素敵なものがあふれてはいるのだけど
ほしいものがない...という、不思議な感覚

質のいい生地を触ったり、斬新なデザインに感動したり
それだけで、満足してる自分がいた。

私の東京での楽しみのひとつは、古着屋巡り

この国にも何軒か、行きつけの古着屋さんがあるけど
東京の古着屋さんは、さらにおもしろい。

 レトロな刺繍入りのカーディガン
 60年代風のプリーツスカート
 レースの襟付きワンピース

お気に入りアイテムは、何年たっても飽きが来ない。

今回の収穫は、赤いパンツ

なんてことないデニムのパンツなのだけど
こういう赤がなかなかなくて、巡り合えないでいた。

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古着探しの鉄則は、「こういうのがほしい」と
思わないで行くこと。

ある一定の型・色・生地などを想定していくと
絶対に見つからない。

「何かいいものあるかなあ」と、フラッと入るのがコツ

あとは、忙しい時には行かないこと。
時間に制限のある時は、引きつけのパワーが鈍る。

今回も、何の期待もなく、近くのアンティーク屋さんをのぞいた。
すると、家具の隙間に置いてるラックに、このパンツが!
まさに探してた赤。サイズもピッタリだった。

アンティークの家具を見るのも好き💓

飛行機で持って帰ることもできないし、東京では見るだけだけど
昔のちゃぶ台とか、鏡台とか、ドキドキしちゃう。

古いものとの出会いは、何かに導かれてるよう...

うちのテーブルも、そうだった。

 明るいティーク
 すっきりとした直線のデザイン
 両脇から伸ばして、広げられる

ぴったりかも...と思って連絡したら、「残念ながら、売れたところで」と。
でも、翌日、「配達したけど、小さすぎたので、戻ってきました!」

セットの黒い椅子は売れてしまってたのだけど
しばらくして、同じティーク材の椅子が見つかった。
オリーブ色はうちの色合いにぴったり〜

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古いものは、どんな人が使ってたかわからないし...
という懸念を呼ぶ。

使ってた人の「気」が入ってるものを、受け継ぐわけだしね。

だから、お店の感じや、売り主のエネルギーに注意して
ちょっとでも強いる気配があったり、流れが途切れるときは
さっとあきらめる。

でも、す〜っと進んで、やさしい気分に包まれたら
GOサインととる。

そんな風にして、来てくれたものたちは、喜びをいっぱい運んでくれる。

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世田谷ボロ市で出会ったブローチ

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2017年12月10日

年の瀬のデトックス

期末試験の採点中に、急に熱が出た。
幸い、一日寝てたら、下がったので
続きを終えて、成績を出し、ほっと一息...

したとたん、今度は、吐き気と下痢のアタック

孫から娘にうつってたtummy bug(ウィルス性胃腸炎)らしい。
でも、症状は軽めだし、2,3日おとなしくしてたら治るだろう
と高をくくってた。

ところが、一週間たっても食欲ゼロで、お腹も落ち着かない。
それに、すぐ睡魔に襲われて、昼間からグーグー寝入ってしまう。

次の週は、いくら何でもと思ったけど
まだまだ菌が潜んでいるらしく、全然力が入らず
流動食のせいか、体重がどんどん減っていく。

外は連日、快晴日和、真夏のようにさわやかなのに
できるのは、お花の水やりぐらい...

 本格的療養生活だ〜

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昔、スペインの小さな村で、断食したのを思い出した。
プールやジムがあって、マッサージとかもしてくれる
すてきなセンターでの、至れり尽くせりのデトックス(解毒)は
優雅な体験だった。

この国に来てからも、自然たっぷりの施設で、ジュース断食を
何度かやったことがある。

まだ、子どもたちが小さかった頃、ゆったりと
自分のために、デトックスができる時間は
数日ではあっても、とても贅沢だった。


今回は、そういうつもりじゃなかったけど
体が、深い休息と浄化を求めてる。

 これって、長期的、断食プログラム?

体が、いろいろリセットしてくれてるんだろうなあ
と思いながら、力を抜いて(というか、抜く力もない!)
身を任せるしかない。 

この、カタツムリのような回復ペースには、何らかのわけがあるはず...

思い当たることと言えば、いつもながらの「やりすぎ」

仕事の量は減らしてるし、「すべき」も削り
気の進まないことは、なるべくスルーしてはいるけど
時には、いろいろ重なって、忙しくなることがある。

以前は対応できた「多忙」というものが、年々しんどくなって
普段の2割増しぐらいでも、体が敏感に反応する。

もちろん、「年だから」という要因も大きいだろうけど
それ以上に、自分の中の「やりたくない」「忙しいのは嫌」という気持ちと
関連があるのかも。

賢い体が、ちゃんとモニターして
「やりたくないのに、そこまでやるの?」
「忙しいのが嫌なら、これ以上、無理ですよ」と
一線を引いててくれて

それを越すと、「休まなきゃだめ」モードになって
休養を強いられる...

この線が、目に見えれば、越えないようにできる(かもしれない)けど
こればっかりは、越えてから気づくという、愚かなことに...

でも、降参して、ひたすら休んでる限り
体は賢明に、淡々と、必要な治癒作業を進めてくれる。

薬も注射もなく、「静養」という処方箋だけで...

 これが奇跡じゃなければ、何??!!

改めて、自分の体に、心から感謝
そして、体が引いてくれてる「線」を大事にしたい!と思う。

それは、もっとちゃんと体の声を聴くということ

どうせ、静養するなら、体がしんどくなる前に、優雅に、楽しくやりたいものね〜

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2017年11月04日

ありのままを見本に

"Trick or Treat?"

海賊、ゾンビ、お姫様、スーパーマン
いろんないでたちの子どもたちが
小さなかごやバッグを差し出す。

例年、うちは、なるべく砂糖抜き
ドライフルーツやナッツの詰め合わせ

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でも、今年は、思い切って、お菓子をやめてみた。

待ち構えてる子どもたちに
「お菓子はないのだけど」と言いながら
鉛筆の入ったかごを見せた。

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 うれしそうに選ぶ子
 「これは何?」と戸惑う子
 (翌日、孫の家に持って行ったら、2歳児がアメと間違えて
  口に入れようとした!)
 「2本もらってもいい?」と聞く子
 "Thank you!"と握手を求める子

お菓子じゃないとわかったとたんに
くるりと背を向けたのは
高学年の男の子、一人だけだった。

もしかすると、あの子は、去年
ドライフルーツとわかったとたんに
"No, thank you"と言った子だったかも〜

この国のハロウィンは、北半球と反対で、春
夏時間に入ってるから、夕方も8時ごろまで、陽が差す

だから、カボチャに火を灯してお化け〜みたいな雰囲気はなく
変装した子どもたちが、ぞろぞろ歩く様子は、いたって明るい。

うちの通りは、車も少ないし、安全極まりないけれど
小さい子には、親が付き添うこともある。

今年も、お姫様のドレスを着た、2歳半ぐらいの女の子が
お父さんに連れられて来た。

鉛筆を見て、戸惑ってる娘に
お父さんが、横から
「どれにする?」「一本選んで」と
早口に、急き立てる。

やっと選んで、鉛筆に手をかけたとたん
「お礼は?」「何と言うの?」

女の子が、蚊の鳴くような声で
Thank youと言うと、すかさず"Good girl!"

でも、サングラスをかけたお父さんは
その間、一度も私の方を見ず、無言で、そそくさと立ち去った。

子どもにこうしろ、ああしろと言う大人自身が
実は、そのことをやり忘れてる...ということが、よくある。

 「スマホばかりやるな」と叱る父親が、スマホばかりやってたり

 「お父さんにそんな口の利き方しちゃだめ」とたしなめる母親が
  夫婦ゲンカになると、夫をののしったり

 「先生の話をよく聞きなさい」と命令する教師が
  生徒の話に耳をかさなかったり...

でも、子どもは、大人の「言葉」より、その「姿」を見て育つという。

だから、いくら、正しいことを、言い聞かせようとしても
子どもにとっては
  
 いつもスマホをやってるお父さん
 お父さんをののしるお母さん
 生徒の話を聞こうとしない先生

の「姿」のほうが、見本になってしまう。

でも、親も教師も人間だし、常に「よき姿」を見せるなんて
絶対無理

サングラスのお父さんも、あの日は、急いでたのかもしれないし
何かの事情で、機嫌が悪かったのかも...

なら、「見本」の定義から、「正しい」「模範」をとっちゃって
「見本」=「正直」にしてみたらどうだろう?

「怒ってないよ!」と怒り顔で言ったり
 涙を流しながら、「全然平気」と強がったり
 自分も嫌いだった勉強を「しろしろ」とむやみに強制したり

...を、できるだけ、しないで

代わりに、「腹が立っ、悲しい、辛い」ということを
子どもに伝えてみる。

「理由はあとで話すね」でもいいわけだし。

または、「お母さんも、勉強苦手だったんだよ」と
本音をシェアしてみる。

「子どもに親の弱さやもろさを見せるのはよくない」という考えもあるけど
子どもは、かえって、大人の弱さやもろさを見たら、安心するんじゃないかな。

で、大人もそれで、楽になる。

 ありのままの姿を見本にしちゃう

そんな風にできたら、win-win かもね〜

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posted by bianka at 10:15| Comment(0) | 自己表現 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年10月15日

天からの使者

ずっと孫たちを看てくれてたお姉さんが
外国に行ってしまい、新しいお姉さんが来た。

まじめで、きれい好きで、きちんとした方だったのだけど
何事も、ちょうどいい加減というものがあるようで
彼女の、きちんとしすぎた空気が、家中に充満して
子どもはもちろんのこと、大人まできゅうくつになってきた。

でも、お互い慣れてきてはいるし...と
どうにか、やってたら、彼女の方から、辞めますと。

契約上は、あと数週間あるのだけど
辞めたい人に子どもを任せるのも...
とうことで、急遽、臨時の人を探すことに。

その午後、いつものようにハ〜イとドアを開けると
5歳の孫が、嬉しそうに飛び出してきた。

2歳半の弟は、散乱したおもちゃの真ん中に
おばちゃんと二人で、ニコニコ座ってる。

持ってきた食料をキッチンに置きに行くと
リビングには、椅子と毛布やシーツで作られた要塞があり
ここから入るんだよと教えてくれる。

昨日までは、チリ一つなく、整然としてた家が
子ども天国に戻ってる!

おばちゃんとは、みんなが初対面だったのに
ずっと知ってるみたいな錯覚に...

よく笑い、オープンで、元気なおばちゃんは
Lovely boys!と繰り返し、So much fun!
と楽しそう。

兄弟仲はどうだった?との問いには
They are just brothers!

素手でおうどんを食べる子たちを見ても
驚くどころか
「手で食べると、食べ物の感触がよくわかっていいよね」

そして、「インドでは右手だけで食べるのよ」と
一年住んでいたというインドでの習慣を、話してくれた。

自由で、明るく、軽やかなエネルギーは
そばにいるだけで、ほっとする。

張り詰めた中で、縮こまっていたものが
ふわふわ、トロリと溶けていく。

おばちゃんは、天からの使者だ〜

 こういう人も、ちゃんといますよ〜
 だから、無理して、合わない人をとどめておく必要は
 ないですよ〜

メッセージは、タイミングよく届く。

 難しい恋人と別れたとたんに
 気さくで楽しい人が現れたり

 嫌だった仕事を辞めたとたんに
 ありがたいオファーが舞い込んできたり

まるで「勇気を出して、手放したご褒美」のごとく

それは、一瞬の出会いかもしれないし
ずっと続く状況ではないかも

でも、最適のタイミングで
明るい光がさし、よりよい例が、提示される。

このおばちゃんも、定期的には来てもらえないけど
子どもたちには、やっぱりこういう人がいいよね〜
ということを、見せてくれた。

状況が悪化してきた時に、がんばって続けるべきか
思い切って、手放すべきかの判断は、すごく難しい。

「あきらめる」には「敗北感」が伴うし
聞こえてくるのは
「これで十分、ぜいたく言うな、そのぐらい我慢しろ」
ばかり...

でも、謙虚に生きるということは
それ以上を求めないということではない。

やっぱりダメだ〜となったら
思い切って、手放してみてもいいのかも

そして、天の力を信じよう。

 天はちゃんと見ててくれるから、大丈夫

またまた、そのことを教えていただきました。

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posted by bianka at 11:49| Comment(2) | 手放す | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年08月29日

口下手バンザイ!

日本語弁論大会で、審査の役を仰せつかった。

元々、順位をつけたりするのは、性に合わない方だけど
日本語でのスピーチを聴くのは、楽しい。

今回は、日本語学習歴3年から5年目までの高校生が集まり
3つのレベルに分かれて、競い合った。

上級レベルでは、上位3名に、個別に面接して
日本語での質疑応答を行った。

3つのスピーチは、どれも質の高い秀作だったけど
個別の質疑応答で差がついた。

語学のコンテストである限り、質疑応答での能力も
当然、考慮される。

でも、この日の体験は

 自信たっぷりハキハキと話せる人 vs そうでない人

について、改めて、想いをめぐらす機会になった。

数年前に、日本の大学生を迎えて、研修をした時のこと

その年は、たまたま二人とも男子学生だったのだけど
二人の性格が対象的だった。

一人は、アメリカ留学経験もあり、英語も流暢で、自信家で積極的
もう一人は、控えめで、おっとりしてて、言葉数も少ない。

二人に投げかけたこちらの(日本語での)質問に
テキパキと答え始めるのは、もちろん、積極的な学生の方。
そして、その雄弁な返答の後で、もう一人が、ぽつぽつと
言葉を選びながら、話し出す。

このパターンが何度か続いた後、私は雄弁な学生を、話の途中で遮った。
「言おうとしてることが、よくわからないのだけど」という私の言葉に
彼は「実は、自分でも何が言いたいのかよくわからない」と。

よほど注意して聞いてない限り、高尚な語彙を並べながら
滑らかに続く話は、優れた印象を与える。

彼曰く、アメリカでは何か言わないとバカだと思われたので
とにかく、なんでもいいからしゃべる癖がついたと。

アメリカの大学生は、教師の質問が終わる前に、手を挙げ
手を挙げている間に、答えを考える...という話も聞いたことがある。

カナダの大学で博士号をとった日本人の友達が
あるグループワークの後で、話し合いの要点を発表した。

日ごろから、セミナーなどで話し慣れている彼女の
流暢で、美しい言葉の連なりは、プロそのもの。

でも、結局、要点が何だったのかをつかみそこねた気がして
あとで、彼女に聞いてみたら
ケロっと、「まとまった意見にはならなかったからね」と。

まとまってないことまで、まとめられちゃうんだ!

 バラバラだったものを、それらしくまとめ
 自分でも言いたいことがわからないまま、話し続け
 突然の質問にも、それなりの答えを、ちゃんと提供する

ことができる人達がいる反面

 バラバラだったから、うまくまとめられない
 何を言えばいいかわからないから、黙り込んでしまう
 突然の質問に、とまどって、まごついてしまう

人達もいる。

後者は前者に劣るのか?

学校や会社の面接でも

 ハキハキ、テキパキ、滑らかに、淀みなく=〇
 ボソボソ、とつとつ、途切れがち=×

となるのが普通だし、伝えたいことを、うまく伝えられれば
それに越したことはない。

でも、私は、ゆっくりと、ためらいがちに話した研修生の言葉が
心にズシンと響いたことも、忘れたくない。

 時間をかけて考え、自分自身の言葉を探し、心を込めて発信する

そういうスローなプロセスが

 苦しんでいる人に、安らぎをもたらし
 恐れていた人に、勇気を与え
 絶望の闇に、光を灯す

ということもある。

 口下手バンザーイ!

言い古された言葉だけど...

やっぱり... やっぱり、中身なんだよね〜

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2017年07月30日

勝ち負けのない世界

幼い子どもの世界には、勝ち負けがない

なんて言うと、「いえいえ、うちの幼稚園児は、競争心旺盛ですよ」
と返されそう...

確かに、紅組白組対決の運動会は、年中行事だし
何とかコンクールに出場して、賞を勝ち取る幼児もいっぱいる。

ある研究結果によると、「勝ちたい」と思い始める年齢は、4歳だと。

 3歳児以下は、自分たちのチームが勝つ方法を選ばないが
 4歳児は、勝つのに有利な方法を選ぶ

とある...

でも、「勝つ方法を選ぶ」子が、必ずしも「勝ちたい」と思ってるかどうかは
わからない。

単に、4歳になると、「勝つためにはこうしたほうがいい」と考えて
それに伴った行動ができるようになる...だけなのかも?

うちの4歳の孫も、最近は、理解力が高まってきて
幼稚園のゲームなどでは、「勝利」を収めることもあるらしい。

でも、私が観察する限り、「勝ち負けを意識してる」様子はなく
ただ遊びそのものを楽しんでるという印象だ。

この子も、そのうち「勝った〜!」という表現を覚え
勝利を喜び、「勝ちたい」という気持ちを持つようになるのかな?

「勝ちたい」という気持ちは、ある一定の年齢になると
湧いてくる本能なのか?

それとも、大人から受け継ぎ、学びとっていく価値観なのか?

私は幼いころ、ゲームで負けると怒ったらしい。
それに閉口した父が、わざと負けてくれたこともあったとか...

せっかく楽しいゲームをしてたのに、最後に、だれかが勝って
順位がついて、一番ビリが決まる...

そんなの、だれでも嫌だよね?

 「くやしかったら、次はがんばれ!」

負けた時の気持ちは、「悲しい」んじゃないかと思うけど
メソメソしててもラチがあかないから、「くやしさ」をテコに
勇ましく立ち向かうことを奨励される。

 「社会」は、競争だらけなんだから、それに備えるためには
 負けてもへこまない、粘り強い人間にならねば!

大人は、自分の価値観を、まるで絶対なるオキテのように
子どもにどんどん刷り込んでいく。

「負けてもへこまない」???

負けたら、誰でもへこむでしょう?

少なくとも、「勝つ=優れている 負ける=劣っている」
という価値づけのある社会では...

幼い頃のトラウマのせいか、私は競争が苦手だ。

その後、トランプやゲームで負けても平気にはなったけど
「勝ち負け」というコンセプトには、今でも違和感を覚える。

シュタイナー教育に惹かれた理由のひとつは
テストや競争がない学校と聞いたから。

今でも思い出すと笑ってしまうのは、中学生だった長女が
ハードルの選手に選抜されたときの話。

シュタイナー学校は、芸術教育は盛んだったけど、スポーツにはそれほど
力を入れてなくて、設備とかも、あまり整ってなかった。

地区競技会の当日に、「がんばってね!」と送り出そうとすると
長女が、「ぶっつけ本番だから、どうなることやら」と言う。
ハードルが学校には7台しかないから、10台全部跳ぶのは今日が初めて...と。

何とものどかな学校だったなあ〜

大人が躍起にならなければ、子どもはのんきなもの

逆に言えば、大人の言動は、責任重大ということにもなる。

本気で、「元気にのびのび」育ってほしいと思うなら
自分の価値観の総ざらいをする必要があるのかも。

子どものうちに、競争の厳しさを教え込んでおかなければという
考えは、長女を見る限り、不要のよう。

比較的競争が激しいと言われる、法律業界での仕事を
長女は、根っから楽しんでる。

自分が根っから好きなことをしてたら、競争とかって
あんまり関係ないのかもね〜

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木登りが大好きな孫
posted by bianka at 16:06| Comment(0) | つながり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年07月14日

人の話をちゃんと聴く

日本で、ホリスティック教育の学会に出た。

それまでの協会を基に、ホリスティック教育/ケア学会が創設されるという
記念すべき集いだった。

シンポジウムでは、「ホリスティック」という言葉の意味を再確認し
現状の課題に対して、どういった応答をしていくかなどが、論じられた。

とても印象に残ったのが、コメンテーターの方の発言だ。

コメントの内容も、もちろん、有意義なものだったのだけど
それ以上に感動したのは、その方の「まとめ方」だった。

 数名の登壇者の発言から、それぞれ核となる部分を、丁寧に掬い取り
 わかりやすく言い換え、ポイントを3つに絞り、自分の意見を加え
 無駄なく、バランスよく...

その隙のない、みごとなまとめは、まるで芸術を鑑賞しているようだった。

この方は、教育学の教授だし、普段から、このようなまとめには
慣れていらっしゃるのではあろうけど、大学の教授がみな、このような
まとめ方ができるかというと、そうでもない。

 こういう技は、知能指数とは、相関性が薄い

ということが、長年、高学歴を持つ方々と職場を共にしていると
確信をもって、言えるようになる。

 コメントが、それ以前の発言に呼応していない
 細かい(関係ない)部分まで、延々と述べる
 みんながわかりきってることを、あたかも的に披露する
 相手の話が済まないうちに、畳みかける

などなど...

こういうことが起こるのは、単純に言って

 人の話を聞いてない

からではないか?

だって、ちゃんと聞いてたら、前の人が言ったことにつなげるでしょう?

そう、こういうのって、つながってないんだよね。

話もバラバラ、人の心もバラバラ....

ホリスティック教育の3つの合言葉は

 つながり・つりあい・つつみ込み

今回のシンポジウムでのコメンテーターは、これを全部、満たしてた。

 みんなの発言をくみ取って、バランスよくまとめ、自分の考えとつなげる

こういうことができる人は、社会的知性(social intelligence)が高いという。

「聴く」は、「耳」だけじゃなくて、「心」で聞くこと

まずは、本気で、人の話を、ちゃんと聴くってところからかなあ〜

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八大神社、京都
posted by bianka at 14:57| Comment(0) | つながり | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年06月29日

言動を左右するもの

アメリカ人らしき元奥さんが、元夫がいかに素晴らしい父親であるかを
つづった動画が拡散されてた。

 決めた日時以外でも、息子に会いに来てくれる

 自分が買った贈り物に、「ママから」と書き添え
 元妻の姉妹の子どもたちの面倒まで看てくれる

 家の修理もしてくれるし、愚痴も聞いてくれるし
 息子が「大事な人リスト」を作っている横で
 「ママのボーイフレンドも忘れるなよ」と声をかけてくれる...

動画を観た人たちのコメントには

 なぜ、そんないい人と別れちゃったの?
 もったいない!

が続出。中には

 こんないい男と別れるようなあなたは、本当の愛を知らないのか?

といった、お叱りまで...

「すてき!」「いいなあ」「私の元夫もこんな人だったらいいのに」
みたいな肯定派も、時たま見られるけど
気にくわない!けしからん!的なコメントの方が、ずっと多い。

 元夫を「元妻のいいなりになってる、どうしようもない男」と決めつける男性
 「元夫をのさばらせる今のボーイフレンドの気がしれない」と懸念する女性
 「こんなのウソにきまってる」「信じがたいね」と頭から信憑性を疑う人たち

他人の人生を垣間見た人が、それについて、つべこべ言える場がある
という、奇妙な時代
言いたい放題のコメントが、それぞれの信念を浮き彫りにする。

 「元妻・元夫はこうするべき」「男・女はこうあるべき」「人間はこう生きるべき」

コメントの主たちは、自分の人生観をそのまま投影させて
それに合わない(と思える)部分を、憂い、疑い、裁く。

私たちは、ともすると、この「投影」ということを、無意識にしてしまう。

思考だけじゃなくて、感情が投影されることも多々あり。

 夫に捨てられた悲しみ・女にだまされた悔しさ・妻に逃げられた怒り

たまってる感情は、思いがけない場面で、染み出て(吹き出して)くる。

動画を見て、どう感じるかは、動画そのもののせいじゃない。

どんなに隠そうとしても、いろんな場面で、顔を出す「癒されてない感情」
自分でもなかなか気づかない「凝り固まってる思い込み」

こういうものが、絡み合って、感情を左右し、言動へとつながっていく。

人を批判してるつもりだったけど、元にあるのは自分だった...


自分をほぐすワークをしていくと、人を裁くことも減ってくる。

単純に、「へえ〜、いい子育てしてるじゃん?この子ラッキー!」なんて
喜んじゃえたら、人生、軽くなるよね〜

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南アルプスと田んぼ
posted by bianka at 15:32| Comment(0) | 気づき | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年05月13日

心の境界線を引く

「うまく線引きしてやっていかないとね...」

仕事の話をしていた時に、友達が言った言葉

「ここまではOKだけど、この先はNO」と自分で線を引き
「できないことはできない」としっかり伝えよう...という文脈だった。

この「線」というのは、心の境界線((boundary)のこと

この境界線が、うやもやだと

 頼まれたら、無理してでもやる
 おせっかいな助言でも、我慢して聞く
 誘われたら、気が進まなくても行く
 つまらない話でも、延々とつき合う

といった状況に陥る。

「この先はNO」という自覚がないから、人がズカズカ入ってくる。

と同時に、自分も人の領域に、侵入して

 疲れてても、人の分までやる
 頼まれもしないのに、助けの手を差し伸べる
 人が嫌がることも、率先してやる
 弱いものは、相手かまわず、面倒をみる

などの行動に出てしまう。

でも、これらは、どれもが一見、「いい人」のやること
だから、文句も言われず、重宝がられ...

本人も、自分の犠牲的・利他的・献身的あり方に、問題がある
などという意識は、毛頭ない。

でも、こういう無理や我慢には、限界がつきもの
ゆえに、いつか必ず、燃え尽きる時が来る...

 なんで、そんなにまでして、「いい人」になりたいの?

心の奥底を探っていくと、だれもが持つ、基本的な欲求にたどり着く。

 認められたい
 求められたい
 愛されたい

そうだよね〜、だれだって、愛されたいよね〜

でも
 無理しなくちゃ、認めてもらえない
 我慢しなくちゃ、嫌われる
 助けてあげなきゃ、愛されない

なんてことは、ないはず...

それに、いつかは、無理も我慢も続かなくなるんだから
その時がきたら、どうするわけ?

疲れ切って、うんざりした時が、チャンス!

人のことを考えるのをやめて、自分に焦点を戻す
そして、楽しい、やりたいと思うことを、いっぱいやる。

 子どもと思いっきり遊ぶ
 家族や恋人や友達とくつろぐ
 趣味に没頭する
 自然の中へ繰り出す

楽しい時間を最優先して、それを阻むものは、排除していく。

そのためには

 無理な頼みは断る
 ありがた迷惑な助言はスルーする
 気の進まない誘いは断る
 つまらない話を聞いてるふりをやめる

 人の分まで横取りしない
 頼まれもしないことに手を出さない
 犠牲になることでポイントを稼ぐのをやめる
 「弱いもの」を救う自分に陶酔しない

などの、調整が必要

(これは、職場、家庭、交友、恋愛...あらゆる人間関係に該当)

NOと言うのは、難しいけど、このNOは、自分へのYESなんだよね!

自分が心からYES!と言えるものを、選んでいくうちに
だんだんと、境界線が引かれていく。

 楽しい!楽々!軽い!すっきり!気持ちい〜い

線引きのバロメーターは、「いい気分」になるかどうか

本当の「いい人」って、最高に気分の「いい人」だったりして!

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Lake Wakatipu in Queenstown


posted by bianka at 14:11| Comment(0) | 自尊心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2017年04月25日

還暦を迎えて

60歳の誕生日を迎えた。

干支(えと)が一回りした「還暦」
還暦の赤は、「赤ちゃんに戻る」という意味もあるとか...

12年X5周したわけなんだね〜

毎年、手描きのカードを送ってくれる姉が
今年は、羊毛の玉を60コ並べた、素敵なカードを作ってくれた。

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「羊毛をまるめて並べてみたら、60年の歳月の重みを実感しました。
いろんな想いに、彩られてきた日々...ほんとにすごいこと〜!」

数えながら、「この頃はこんなだったかな〜」と想いを寄せてくれたんだって。

 東京での子ども時代、京都での結婚生活、海外移住後の「波乱」に満ちた年月...

一つひとつのコロコロに、思い出がいっぱいつまってる。

戦前までは、平均寿命が50歳ぐらいだったというけど
それだけ、子どもの頃に亡くなった人たちが多かったということ。

60歳まで元気に生きてこられたって、奇跡だよね〜

これまで、どれだけの人たちに助けられてきたことか...
生かされてきたことへの、感謝の気持ちがあふれてくる。

Facebookという便利なもののおかげで、普段はさほどお付き合いのない方々や
元学生たちからも、うれしいお祝いの言葉をいただいた。

 Thank you all for being in my life!

家族はもちろんのこと、友達、同僚、学生...みんなのおかげで、今の私がある。

そして、このブログを読んでいてくださる方々にも、心よりお礼を申し上げます。

目には見えないかもしれないけれど、このつながりの中で
何か、すてきなことが、起こっているような気がする。

60歳って、すごくいい〜
雲一つない快晴の空を見上げて、大きく息を吸う。

 人生、ますます楽しくなっていきそう〜!!

友達が転送してくれた、チベットのことわざ

"The secret to living well and longer is: eat half, walk double, laugh triple and love without measure..."
「元気で長生きするための秘訣:食べる量は半分に、歩く量は2倍に、笑う量は3倍に
そして、限りなく、愛しましょう」

思いっきり笑って、めいっぱい愛して...

楽しく、軽やかな60代を、謳歌したい。

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娘たちが連れて行ってくれた、AMANOという
レストランにて


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2017年03月14日

子育ては天にお任せ

「子どもを産まない割合が激増!」という記事を見た。

2009年の世論調査によると、20-30代で「産む必要はない」と答えた人たちが
6割もいたとのこと。(最近はもっと増えてる?)

その理由の大半は、「金銭的余裕がない」「子どもがいないほうが自由」
「子育ては大変そう」

でも、中には「こんな時代に生まれてくる子どもは可哀想だから」
と考える人たちもいると。

記事の筆者自身も、今の社会は「生き辛い」、どっちにしても「うまくいかない」と
「こんな時代」に対する不信感を共有してる。

 大人の自分でもこんなに不安なのに、幼い子どもがやっていけるのか...

次の世代を想う気持ちがあるからこそ、こういう疑問もわいてくる。

「お金がかかる」や「自由がなくなる」は、親中心の理由だけど
「子どもが可哀想」は、子ども目線での理由

だから、筆者も「素晴らしい」とほめている。

確かに
 「今の社会は生き辛い。働くのも辛い。
 だから、子どもが働きたくないと言うかもしれない。
 その時に、親のあなたは責任をとれますか?」

と聞かれて、「はい」と答えられる人は、まずいない。

 「あなたは、子どもが辛い思いをしないように
 身を捧げる覚悟がありますか?
 子どもを一生、サポートできますか?」

No, No, No!!!!
「そんなのムリ〜」

でも、私のNoは
 責任とれない
 身を捧げる覚悟がない
 一生、サポートできない
という意味じゃない。

そういう「献身的な」姿勢そのものに対する、No!!なのです。

私のNoのあとには

 そんなこと親がしなくてもいいんだよ!
 子どもはちゃんとやっていけるんだから〜

が続く。

なんで、こんなことを自信ありげに言えるかというと
「子どもの魂は、親を選んで、生まれてくる」と思ってるから。

 生まれてきた子どもと、親のつながりは、偶然じゃない。
 何の因果かはわからないけど、理由があって、その家庭に生まれてきた。
 だから、生まれてきた家庭が、貧しかったり、片親だったり
 その後の人生で、もろもろのチャレンジに見舞われても
 そのことに対して、親が、全面的に責任を感じる必要はない。

と、本気で思ってる。

もちろん、ちゃらんぽらんな親でもいいと言ってるわけじゃないけど
このブログの読者には、そういう人は、多分いないでしょう。

でも、誠実に生きようとする人ほど、すべての責任を背負い込み
すべて自分で解決しなければと、悩んでしまう可能性が高い。

科学のおかげで、「産むか産まないか」の選択ができるようになった。
それだけに、「自分が選んだんだから、最後まで責任をとれ」みたいな
プレッシャーを課してしまうのかも。

でも、子どもは天からの授かりもの

どんなに科学が発達しても、いつ受胎し、いつ、どんな子が生まれてくるかは
だれにもコントロールできない。

すべて、天にお任せだ〜

としたら、生まれてきてからも、もっともっと、天に委ねてもいいのでは?

だいたい、子育ての授業も受けてないし...
それどころか、自分が一人前になったかどうかだって、定かじゃない。
なのに、自分たちだけの力で、子育てなんて、できるはずないよね〜

それでも、すくすく育ってくれるのは、その子の魂そのもののチカラのおかげ
親は、その手助けを、精いっぱいやればいい。

子育ては、天との共同作業

「大変な」時代に生まれてくる子どもの魂は
チャレンジを乗り越えるチカラを、しっかり備えてる。

だから、親は、子どもの魂を信じ、意志を尊重して、過剰に干渉しないようにする。

その代わり、めいっぱい、あったかい愛情を注いであげる。

親の役目は、子どもの世話を一生することじゃなくて
子どもの魂が育つのを、「阻まないようにする」ことなのでは?

子どもを「導く」と思うと、責任重大だけど
「子どもの魂が、成長するのを支える」なら、できそうな気がする。

導きのほうは、天に任せて、子どもが持ってきてくれた贈り物
(愛、喜び、笑い、無邪気さ、純粋さ、好奇心、想像力、独創性etc.)を
めいっぱい、楽しみながら、一緒に成長すればいいんだよね。

そのぐらい、気楽にかまえてても、だいじょうぶだよ〜


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いろんなチャレンジを乗り越えて、立派に育った娘たち
彼女たちのたくましい魂に敬服

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2017年02月13日

まっすぐで、柔らかい生き方

「素直」は英語に訳しにくい。

辞書で調べると、obidient, complient, submissive, tame...など
「従順・服従」という意味の言葉がずらりと並ぶ。

現に、「素直な子」と言ったら、普通は
「大人の言うことをきく・すぐに謝る・口答えしない」子どもを指す。

でも、これが、元々の「素直」の意味じゃないことは
漢字を見ると、わかる。

 素=ありのまま・飾り気のない
 直=まっすぐ

「思ったことを素直に言う」と言えば、何の工作もなしに
ありのままを言うことだし
「素直な髪の毛」というのは、クセのない、まっすぐな毛のこと

「素直」は、元々、「率直・正直・裏表なし」という意味だった...
というか、今でもそう。

とすれば、「素直な子」は、「まっすぐで、正直な」子どものこと

なのに、なんで、それが「従順な子」になっちゃったんだろう?

「素直な子=従順な子」という解釈の裏には
「子どもは従順であるべき」という観念がある。

「大人の言うことは正しいのだから、それに従え」という...

「大人」という集団の人々の言うことが、すべて正しい
...なんてことは、もちろん、ありえない。

でも、大人はなぜか

 「子どもは何も知らない、考えが浅い、教えてやらねば」

と思い込んでいる。

だから、自分の「正しい」考えを、子どもに押しつけて
納得させようとする。

中には、自分がいつも正しいと思ってるわけじゃないけど
いちいち、子どもの「理屈」につき合ってる暇はないし
めんどくさいから、黙らせる...みたいな親もいるかも。

でも、そうやって、黙らされた子どもは、自分の思いを心の奥に押し込んで

 「自分の本当に感じてること、思ってることを、正直に表現してはいけない」

というメッセージを受け取る。

大人が「素直」と呼ぶのは、「ありのままの」感情や思いを見せる子ども
じゃなくて、「大人に都合のいい」感情と思いを見せた子どもだけ...

 大人を怒らせ、悲しませるようなことを、言ったり、したりするな
 大人に認めてもらうためには、自分の思いを変えろ
 大人の考えに従え

これじゃあ、「ウソをつくな」と教訓をたれる大人が
「認められたかったら、ウソをつけ」と教えてることになってしまう...

子どもが
 本当に納得したから、言うことをきく
 心から悪いと思ったから、謝る
 同意するから、反論しない

のなら、いいけど、単に大人の圧力に負けて、嫌々、従うのであれば
「素直」とは程遠い。

「素直」の英訳の中に、suppleという言葉があった。
suppleは「柔軟」という意味で、体の柔らかい人を形容したりもする。

「素直」は、まっすぐで、正直であると同時に、柔らかくもある。

「素」の「そのまま・ありのまま」は、「自分をそのまま、率直に」と共に
「周りもそのまま、ありのまま」ということなのでは?

自分が置かれてる状態とか、周りの人々のあり方とか
そういうものに対して、柔らかく対応するするためには
その状態やあり方を、一旦、そのまま、受け容れる必要がある。

「まっすぐ、正直に」は、自分の思いを、周りの意見もおかまいなしに
通すことじゃないし、自分の感情を、相手かまわず、ぶつけることでもない。

 自分も大事に、周りも大事に

子ども達に、学んでほしいことって、この辺なんじゃないかな?

 自分の気持ちや思いを、率直に表現する
 相手の気持ちに寄り添い、相手の思いに耳を傾ける
 必要であれば、柔軟に、自分のスタンスを変える

これが、みんなできるようになったら、社会はがらりと変わるだろうね!

 まっすぐ、かつ、柔らかく

大人も子どもも、素直に生きていきたいね〜

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素直で、かわいい子どもたち
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2017年01月06日

過去を手放す

女優のKate Winsletが、ある受賞式のスピーチ
「14歳の時に、演劇の先生に『デブちゃん役ならどうにかいけるかも』と言われました。
でも、今の私を見てください。人に何と言われようと、自分を信じて、あきらめないで!」
と、若い女の子たちを励ました。

このスピーチを聞いて、「勇気をもらった」「私もがんばる」と力づけられた人たちが
大勢いた中で、ある女性のコメントが目にとまった。

 「でも、Kateがこの14歳の時のことをまだ覚えてるってことは
 そのことを克服してないってことでしょ。記憶のチカラはすごいんだから」

この女性にとっては、「過去を克服した」と言えるのは
「そのことが記憶から消え去った時」ということなのかな...

でも、過去に起きたことを単に「覚えていること」と
そのことに、「今でも感情的に支配されること」とは全然違う。

そのことを思い起こした時に、今でも、胸が苦しくなり、鼓動が速まり
怒りがこみ上げ、涙があふれてくるのか
それとも、「ああいうこともあったなあ」と、平穏でいられるのか...

Kate Winsletは、「自分を信じて、心の中の恐怖(fears)や不安(insecurities)を
克服する努力を続けました」と言ってる。

彼女がどういう方法で克服したのかは、わからないけど
今の彼女の心は、14歳の時に感じた、悔しさや悲しみより
ここまで来たという、自信や達成感で満ちてるんだろう。

覚えている=トラウマとは限らない。

それに、「覚えている」のは、その出来事の「事実」じゃないってことも
ぜひ覚えておきたい!

だって、人間って、すごく忘れっぽいものだし、記憶力のいい人でも
見方が違えば、解釈も違ってくるもので...

だから、人間の記憶なんて、実は、とっても主観的。

だとしたら、無理に、こと細かく、覚えてる必要のないことも、いっぱいあるのでは?

特に、嫌だったこと、恥ずかしかったこと、悲しかったこと、腹がたったことなどは
あえて、詳細を覚えてて、それを、反すうする必要はないよね?

もちろん、そういうことがあったことを、全て否定して
何事もなかったかのように、生き続けるのは、しんどい。

回復の第一歩は、自分で認めて、その気持ちを、どうにかしようと思うこと。

でも、大事なのは、その時の「感情」を解放することであって
その出来事を、「正確に」(ムリ!)蘇らせることじゃない。

「詳細は記憶にありません」じゃダメでしょうか〜?

ねほりはほり、追求し、ツジツマを合わせ
論理的に分析する必要って... ありますか?

っていうか、しないほうがいいよね、そういうの。

だって、ネガティブなことには、なるべく、焦点を合わせないほうがいいでしょう?

もちろん、悲しみ、怒り、悔しさ、もろもろの感情は、十分認めて
それを、発散できる方法を探したい。

 大声で泣く、日記帳に殴り書きする、シャワー中に叫ぶ、ボクシング教室に通う...
 または、そういうプロセスを手助けしてくれる、セラピストを見つける

で、あとは、楽しいこと、うれしいこと、ありがたいことに
もっぱら焦点を合わせよう!

「記憶のチカラはすごい」?

それは、自分でそう価値をつければそうなるし
つけなければ、そうならない。

嫌な過去の記憶を、大事にとっておくことないよね〜

過去を手放すということは、「過去の自分と、過去の相手」も手放すこと。
過去の自分を責めることをやめ、過去の相手を責めることもやめる。

いろいろあったけど、自分も相手も、あの時、できる限りのことをしてたんだよね。
あれしか、できなかった。だから、あんなことになったわけで....

細かいことは、もういいよ。

それだけ、わかってれば十分。

両手を広げて、ふわ〜っと手放そう。

Let go, Let God

あとは、天にお任せだ〜

平和で、愛と喜びに満ちた年となりますように。

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2016年12月19日

気配りのバランス

日本に一時帰国してた友達が「日本での買い物は疲れる〜!!」と
悲鳴をあげた。

ただ買い物してるだけなのに、なんであんなにいろいろ聞かれなきゃいけないのか
というのが、友達の言い分。

 クレジットカードで買い物をすれば、「お支払いの回数は?」
 大手の店では、「ポイントカードはお持ちですか」
 お土産には「手提げ袋はいくつおつけいたしましょうか」

いちいち
 「一括で」「ありません」「けっこうです」というのが、面倒になってくるという。

で、そこで会話が終わるのならまだいいけど
 「一括で」の後には、「承知いたしました」
 「ありません」の後には、「失礼いたしました」
 手提げ袋どころか、包装そのものをお断りしようものなら
 「では、テープを貼らせていただきます」と来る。

友達は、これらのやりとりに応答するだけで、疲れてしまい
店員さんたちの「決まり文句」に、イラついてきたという。

確かに、この国のような、すこぶるカジュアルな社会では、あの丁重度はありえない。

友達曰く、「ポイントカードがない」ことがわかったら、ただ、「はい」と言えば十分なのに
なぜ、そこで、謝る必要があるの??

でも、日本はひたすら謝る社会だものね〜

この現象を「過剰」ととるか、「美徳」ととるかは、人によるけど、外国人観光客の受けがいいのも
あの丁重な姿勢(They are SO polite!)や、キメの細かい対応(They are so thoughtful!)の
おかげなんだろう。

私自身は、イライラしたり、疲れたりはしないけど
逆に、あの店員さんたちって、相当疲れるだろうなあと思ってしまう。

だって、ああやって、一日中、お客さんに応対してるわけでしょう?

あの崇高な水準を保つための努力って、スゴイし、完全に脱帽なんだけど...
あそこまでしなくても、いいんじゃないかなあ

「お客様は神様」っていう気持ちが、純粋にあるなら、これまた誉れ高きことだけど
それが、単なる役割り上の関係だけなら、何もそこまで持ち上げなくても...

客の私たちも、「客はえらい」なんて幻想や期待は捨てて、普通に接すればいいわけで。

この「相手によって言葉や態度を変える」って風習も、けっこう大変だよね?

外では、神経使って、「よそ行きの顔」ばかりした揚句
家に帰るなり、思いっきり「普段着」に着替えて、むっつりしたり、爆発したり...

でも、これって、変じゃない?

確かに、うちでは、ありのままの自分でいたいけど
わがままで不機嫌な自分は、ありのままというより
「外でのストレスがたまって、疲弊した姿」なのでは?

この、外で必死にしてる気配り、本当は、家族にもしてあげたい!
年老いた親や、愛する伴侶や、かわいい子どもたちに...

でも、外でやりすぎると、うちでできなくなる。

だったら、外での気配り量を、減らしてみては?

過剰包装を、簡易化したのは、環境保護のためだったけど
外への過剰気配りの簡易化は、大事な人たちとの時間を守るため。

外での気配り量を減らすと、うちで気配りをする余裕が生まれる。
うちでの気配り量が増えると、大事な人たちとのつながりが深まる。
つながりが深まると、心が満たされてくる。

そして、心が満たされてる人は、内外関係なく、ほどよい気配りをしたくなる。

めでたし、めでたし〜

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鎌倉・長谷寺の良縁地蔵
posted by bianka at 13:33| Comment(0) | バランス | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年11月16日

焦点は自分に

日本語の受身文で、よく使われるのが、いわゆる「迷惑の受身」

 彼女に泣かれた。
 母親に日記を読まれた。
 弟にカメラを壊された。

自分が誰かに何かをされて、迷惑を被ったということを表す。

時には「先生に作文をほめられた」みたいな喜びを表すこともあるけど
たいていは「〜されて嫌だ」という気持ちを表す。

こういう受身文を間接受身文と言うのだけど
(直接受身文は「私は彼にふられた」みたいに「彼が私をふった」と能動文に書き換え可能)
英語には、間接受身文がないから、こういう文は受身にならない。

だから、
 My girlfriend cried.
 My mum read my dairy.
 My brother broke my camera.
と「彼女・母親・弟」が主語の能動文になる。

でも、日本語で「お母さんが私の日記を読んだの!」と言っても
それによって受けた負の感情は伝わりにくい。

言いたいのは、母親が日記を読んだという「事実」よりも
その結果、自分が被った「嫌な気持ち」だから
受身文を使ってはじめて、それが表現できる。

この、「誰々」がやったより、「自分」がやられたに
注目するっていうの、なかなかいいなと思ってる。

「焦点を合わせる人物」が「自分」っていうところが。

誰かに嫌なことをされたり、言われたりしたとき
ついつい、その嫌なことをした・言った「相手」に注目してしまう。

で、その人のことをああでもない、こうでもないと考え続ける。

でも、その人がなぜそのようなことをしたり、言ったりしたのかなんて
いくら憶測してみても、わかりきれない。

そんな時は、相手のことを考えるのをやめて、焦点を自分に合わせてみる。

その人にされたり、言われたりした理由が思い浮かぶかもしれないし
さっぱりわからなかったら、「わかんないけど、何かあるんだろう」ぐらいで、とめて
そこには執着しない。

(ここで、「人生、いろいろあるけど、すべて、自分が成長するためのチャレンジかも〜」
って思えると、ずっと楽になりま〜す。)

で、今、何ができるかに集中する。

その時の嫌な気持ちがよみがえってくるのは仕方ないけど
それはなるべくさ〜っと流して...

 「日記を読まれた」のは「私」。じゃ、その「私」はどう対応するか?

主体である「私」を相手にすり替えないで
あくまで、「私はどうしたいか?」を探る。

こっちの言動に対して、相手がどう出るかは、相手次第
そこまで、いろいろ詮索して、悩む必要はない。

こっちはこっちで、自分の言動に責任持つ覚悟なんだから
相手も自分の言動に責任持ってもらわないとね。

こっちの言動に対して、相手がどう感じるかは、究極的には、こっちの責任外のこと。

だって、同じ状況でも、どう感じるかは人それぞれだし
自分がどう感じるかは、相手とは関係ない。

「相手に焦点を合わせるのが、親切で、善人のすること」っていうの
何かの誤解じゃないかなあ

ちまたでは、そんな説が通ってるみたいだけど、そのせいで、どれほどコトがこじれ
膨大な時間と労力が浪費されていることか...

「自分を抑えて、周りを優先」っていうの、やめないとね。


自分を大事にしてると、自然と周りも大事に思えてくる。

だから、焦点はバッチリ自分に合わせよう。
焦点が合うと、いろんなものがくっきり見えてくる。

いい解決案って、ピントの合ったところから、沸いてくるんじゃないかなあ

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Love Locks
posted by bianka at 13:38| Comment(0) | 自尊心 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年10月21日

何事にも例外あり

ふと見ると、次女からメールが入ってた。
言葉はなくて、航空券の写真だけ。
「えっ?ホノルル往復??」
しかも、日にちは、数週間後。

「何、これ?出張?」と打つと「ううん、遊び:-)」と
でも、「何で、突然?」「当たったの!」

最近、アンケートに答えるだけで航空券が当たる
とかいう詐欺が多いし、大丈夫なの?って感じだったけど
よく話を聞いてみると、元々、友達が当たった賞品だという。
でも、友達は諸事情で使えないので、次女に譲ってくれようとした。

けど、こういう賞品は通常、他人に譲ることはできないと但し書きが
あり、実際、友達が航空会社に交渉してくれたけど
「だめです」という返事が、「二人の」職員から来ていたそう。

それが、一月ぐらい経って、急に娘のところへ
「航空券です」というメールが入った!のだと。

どうしてOKになったかなどの説明は一切なく
まるで当選者本人宛のようなメールで、往復航空券が添付されてた。

「できません」って決まりが、なぜか「できます」になっちゃった。

そういう、例外もあるんだね〜

普通だったら、絶対無理に決まってることが
なぜかできちゃうことが時々ある。

例えば、昔、シドニーに移住した時。
シュタイナー学校というすてきな学校に、長女を入れたいと思ってた。
幼稚園には入れたものの、小学一年生は長〜い待ちリストが...
で、一度はあきらめて、公立の学校を見に行ったのだけど
あの、自然・アートたっぷりの学校があきらめきれなかった。

翌日、娘を幼稚園に迎えに行くと、先生から
「日本語の先生だそうですね。学校で教えてくれませんか」と。

でも、大学の職に応募した後だったので
「大学がだめだったら、ぜひ」と答えると
「わかりました。で、娘さんは小学校へお迎えしましょう」と!

その後、大学の方がOKになったので
学校で日本語を教えることはできなかったのに
娘は、ちゃんと一年生になることができちゃった。

長いリストを飛び越えて。

低い学位しかもっていない私が
今の職場で、ずっと教えてこられたのも例外中の例外。

一年目はハーフタイムで雇ってもらい
数年間、非常勤フルタイムを続けたあと
常勤のポジションに応募した。

その頃は、まだ、職場も大らからで
学位云々よりも、実績を重視してくれたので
何の問題もなく、今のポジションにつけた。

それ以来、支障なく(と自分では思ってる!)
高い学位を持ってる方々と一緒に仕事をしてきた。

だから、私は相談に来る学生によく言う。

「嫌なことを無理やりするんじゃなくて
自分のやりたいことを見つけなさい」と。

「でも、学位がないと、就職先が...」と不安がる学生には
「人生は、例外だらけ。何が待ち受けてるかわからない」
という話をする。

娘をシュタイナー学校に入れたいと思った時も
大学で日本語を教えたいと思った時も
すごく確固とした想いがあった。

そういう想いって、「通常の決まり」を突破して
扉を開けちゃうチカラがあるのかも?

やるべきことは、何が何でも学位を取ることじゃない。
それより、何より、自分が本当に好きなこと
やりたいことを見つけること。

それが、今は職業に結びつかなくても
心が惹かれる方向へ進んでみる。

その先に何があるかはわからないけど
とりあえず、そっちへ行ってみる。

それが、「通常」のルートじゃなくても、進んでみる。

高校ー>大学ー>就職なんて、だれかが勝手に決めたルートで
そんなのに当てはまらない道は、たくさんあるんだよね。

ただ、多くの若者たちは、何がしたいかわからないから
とりあえず、大学に入る...。

でも、そんなの時間もお金も労力ももったいない。

大学なんか行かなくても、好きな道に向かえばいいのに....
(もちろん、勉強が好きな人は、大学、大歓迎だけど!)

決められたルートに乗らなくても、自分の道を歩める
そういう確信と勇気さえあったら、どうにでもなるのかも。

人生は例外だらけ

絶対に落ちそうもないぼた餅が、落ちてくることもある。

突然のハワイ旅行なんて、うれしすぎるよね〜

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posted by bianka at 12:07| Comment(2) | 委ねる | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする